<時空を超えたニューウェイヴ>と題して、近田春夫&ビブラトーンズの『ビブラトーンズFUN』(未発表曲「ホーレン草サラダ」を含む全仕事15曲収録/’81~’82)、ハルメンズの『ハルメンズの近代体操』(’81)と『ハルメンズの20世紀』(’82)、そして、ハルメンズの原型となった『少年ホームランズ12』(’79年録音)がCDで発売される。
ビブラからはパール兄弟の窪田晴男、PINKの福岡裕、矢壁篤信、ホッピー神山が、ハルメンズからはパール兄弟のサエキけんぞう、ゲルニカの上野耕路、ヤプーズの比嘉江隆男、泉水敏郎が出たことからも丸わかりの通り、ビブラとハルメンズは今の日本において数少ない「革新的なロック」の母体となったバンドである。
というわけで、CD発売を祝って、近田春夫+福岡裕+上野耕路+サエキけんぞうによる超豪華絢爛な座談会が始まるのだ。

 

まずは当時のゴージャスな音楽シーンのおさらいです

サエキ ハルメンズと近田春夫&ビブラトーンズは、微妙なズレがあるんですよね。僕らがちゃんと活動したのは79年から80年までで(82年12月27日 目黒・鹿鳴館『ハルメンズの伝説』コンサートが事実上の解散となった)、ビブラトーンズは・・・・・。

---81年11月渋谷エッグマンの『近田春夫復活祭5DAYS(17~21日)』で、イキナリ僕らの前に現われた!

サエキ 今でもそうだけど、当時も本当に音楽に興味を持っていて真剣に音楽をやっているバンドがあまりいなかったから、ビブラトーンズの若い力は衝撃だった。僕がフリーの頃で、音楽雑誌に取材記事を書いた。

---近田さんの方は、ハルメンズをハッキリ「認識」してましたか?

近田 その頃はタレント活動が忙しかったから、名前しか知らなかった。

サエキ ジュ―シィ・フルーツが売れてた頃。

近田 ハルメンズを教えてくれたのは久保田慎吾(現マッスル・ビート。かつて上野と8 1/2をやっていた)からだね。

福岡 僕は悪いけどハルメンズを聞いていないんですよ。ゲルニカは1回見たけど。

サエキ そう。ゲルニカ(81年5月に渋谷ナイロン100%で初ライヴ)は、ビブラトーンズと時期が重なっているんだよね。

福岡 僕が三谷泰弘(現スターダスト・レビュー)の紹介で参加した人種熱って、当時の音楽シーンとの関わりがなかったし。

---えー、解説します。人種熱というのは、窪田晴男がリーダー&ヴォーカル&ギターのバンドで、ビブラトーンズの母体です。活動はビブラ結成後も並行して行われ、82年3月25日渋谷エッグマンを最後に窪田がビブラを脱退するまで続きました。

福岡 で、みんなとワッと知り合うのは、ビブラに入って、『東京フリークス』に出るようになったのがきっかけだね。

---若人のために、またまた解説します。82~83年頃に行われた加納基成(当時東京モダン・ボーイズ)仕切りによるイベントで、ビブラトーンズ、エスケン、クリスタル・バカンス、高木完+岡野ハジメ+ブラボー小松がいた東京ブラボー、東京タワーズ、有頂天、PINKの前身で沖山優司+鈴木賢司も参加したおピンク兄弟等が出演。会場は新宿ACBかエッグマンでした。

サエキ 僕は前期は観客として、後期はパール兄弟として参加した。

近田 あの時のサエキのウニウニした動きは、いまだに忘れられない(笑)。思えば、『東京フリークス』の頃の友達って、ずーっといい形で続いているもんなあ。

 

今なおビブラとハルメンズの音楽が画期的だから困る

---近田さんや福岡君にとって、ビブラトーンズはどういうバンドでした?

近田 CDの宣材用には「ビブラは学校だった。僕にとっては(中途半端なタレント生活から)音楽家にもどるための、そして他のメンバーにとってはプロになるための・・・・・」って、コメントしたんだけどさ。

福岡 僕ら人種熱が、近田さんにデモ・テープを送ったために、こうこうことになっちゃったんですけど・・・・・。

近田 「こういうことになってしまって」なんて、不幸みたいな言い方じゃん(笑)。

福岡 とにかく面白かった。パーカッションという一番無責任な立場にいたから。アイデアが出たら何でもやる。メチャクチャなことをやっても許される時代だったし。

近田 誰かが何を言って、反対することがなかった。とりあえずやってみた。そういう実験で得たいろいろな知識は、今でも俺の中で大きな財産になってるね。

---今や踊らせるのは普通だけど、当時、珍しくダンサブルなバンドでしたね。

近田 みんな16符的なものとか複合的なリズムが好きだったんだよね。他のバンドは基本的に8ビートが多かったから。

福岡 僕はひたすら「叩いて歌う」という。

近田 (笑)。「叩き語り」!

福岡 コーラスって言っても、荒々しい。演歌や民謡の合いの手みたいな(笑)。

近田 「掛け声の達人」! あのおかげでワケのわかんないものになった(笑)。

---コーラスもヘンでしたが、都市生活者の日常を歌った詞も凄かった。性的にテクニシャンな歌詞と言いますか・・・・・。

近田 (笑)。日本の近代音楽史をひもといてみますと、音楽に対するアプローチがいつのまにか、楽器中心になっていると思うんだ。僕には「ロックというものは、その人が普段考えたり使ったりしている言葉が、その国のその時代のコンテンポラリーなリズムと無理のない形で溶け合って初めて、欧米で言うロックのパワーが生れる」という自説がある。「日本のロックの欧米からリズムをそのまま輸入して、そのリズムに乗せるために、日本語の方を歪めるアプローチ」に納得がいかなくて・・・・・。日本でパンクと呼ばれる人達の歌詞にしても、今も昔もロンドンの街角の話を東京の話として歌っているし。僕は一貫して普通の日本語からコンテンポラリーなリズムを見つける作業をやって来て、ビブラの後期でようやく糸口を見つけることが出来たと思う。

>>その(2)へ続く