「写楽」1980年8月号掲載記事より。
表紙は岩崎良美(撮影:篠山紀信)

この号には、韓国の光州事件の生々しい写真も掲載されている。

 

【目次】
アメリカのロック・シーンを7年にもわたって撮り続けてきたヒロは、全身からロック・バイブレーションを発散している。ソニーのテープレコーダーにヘッドフォンをつけて、これから撮るミュージシャンのテープを聞きながらやってくる。長髪にニューヨークっぽいファッション。胸にいつもさげているライカM2が無かったら、ロック・ミュージシャンかと思わせる。
今、彼が最高に気に入っているのは、ニナ・ハーゲン・バンド。ピンク・フロイドの”ザ・ウォール”も傑作だが、ニナは彼らが乗り越える対象としている壁のむこう側からスタートしてるからもっとすごいと大絶賛。ミュージシャンは大体ネガティブな人間だが、だから音楽でポジティブなものを求めている。ほんとにいいものを持った人がエゴを出しきったときアーチストになるのに、商売を考えすぎてつまらなくなってると、最近のロック・シーンを批判していた。

 

1970年春、ひとりの青年がロンドンへ旅立った。1000ドルとニコンと最小限の手荷物を持った23歳の彼の目的は、ニューヨークで写真の仕事につくことだった。ヨーロッパ放浪の途中で、彼は、左手の手首から先を事故で失う。右手だけで果たして写真が撮れるか?彼はベッドの上で挑戦を開始する。モーター・ドライブを使ってピントを合わせ、フィルムを入れ替え、ストロボを使う。この動作をマスターすると、ロック・ミュージックに出会う。

1979年春、日本に帰ってきた彼は、数え切れないミュージシャンの写真と、あふれるロック・スピリットを持っていた。

1946年、東京杉並に生まれた。育ったのは立川。工業高校を卒業すると石川島播磨に就職した。山登りに夢中になっていたから、山岳写真を撮るつもりで、ボーナスをはたいてニコンを買った。ところが山より人間の方が面白く、仲間ばかり撮っていた。会社を3年でやめて、東京写真短大に入る。写真の面白さにとりつかれてしまったのだ。卒業するとすぐに、日本を出た。ヨーロッパ経由でアメリカに入る予定だったが、デンマークで事故にあってしまった。バイトでプレス工をしていて、左手をはさんでしまったのだ。その瞬間何が起こったのか信じられなかった。工員仲間が大声で叫んでいるのを別の世界のことのように聞いた。救急車で運ばれ、モルヒネを打たれ、目覚めた時は、過去も未来もない奇妙な世界に自分がいた。平和だなとその時思った。感情はツルツルとして真っ白だった。ここにいれば、無でいられる。退院したくなかった。

はじめてその感情に色がぬられたのは「写真を撮りたい!」という思いだった。強烈だった。
すぐにハッセルブラッドの本社に手紙を書いた。「右手だけで操作できるカメラはありますか」
返事が来た。保険金を持ってスウェーデンのハッセルへ行った。事故から2か月たっていた。はじめの目的がさらに強く心に刻みこまれた。ニューヨークへ! 写真だ!

何を撮るかテーマはなかった。とりあえずアパートを決め、写真学校に入った。生活は苦しかった。旅行代理店やカメラ修理の仕事をした。これは後で役に立った。
日本料理店に勤める友達が米を持ってきて生卵だけで何日も過ごした。

ニューヨークの街を撮った写真をNYタイムスの写真部長だった人が認めてくれて、新人のための画廊で個展をひらいた。有名なカメラマンのところへも会いに行った。

多少、自分なりの写真が撮れるようになったので、一時、日本に帰ってきた。写大の時の友人に紹介されてミュージシャンの写真を撮る仕事をもらった。ジャズは好きで聞いていたが、ロックは知らなかった。最初の仕事は、ロスでサンタナを撮ることだった。今だから言えるが、ステージを前にして、どれがサンタナか判らなかった。

しかし、この時のコンサートはオレにとって十分興奮するものだった。何を撮ったらいいのかというより、どのように生きたらいいのかを感じさせてくれた。幸い、サンタナの写真は好評だった。次々に注文が来た。まだ、アメリカでミュージシャンを撮る日本の写真家が少なかったこともよかった。『FMレコパル』という新しい雑誌だったのも幸運だった。

レコード会社やミュージシャンに知り合いが増えてきた。旅が増えてニューヨークには月に10日くらいしかいない暮らしになった。生活はすべてロック。休みの日には、これから撮る人の曲をくりかえし覚えるまで聞いた。特に詩を理解することにウエートを置いた。

不思議とアーチスたちは、オレのことを警戒しない。彼らとビールを飲みながら「オレ、ロックって判らないんだ」と話すと「ヒロ、ユー・アー・ロックンロール」と言ってくれる。6年間も一流のミュージシャン達を見てきた。旅から旅へ。つらい毎日だが、彼らのそばにいると、不思議と元気になる。要するに一緒にいたいのだ。一緒に飲むだけでいい。

ミュージシャンの写真は、与えられた環境での勝負だ。時間が1分しかない場合もある。テクニックではない。ハートだ。

今、オレは、日本のミュージシャンを撮っている。オレがアメリカで見てきた素晴らしいロック・スピリットを、日本の中でも見ることができそうな気がしているからだ。確かにロックはアメリカで花を咲かせた。だが、日本には日本なりのロックがあると思っている。オレの写真が、そのために少しでもプラスになればいいと思う。

ハッセルへ行ってカメラを手にした時、明日右手が無くなったら、もう撮れない。早く、一枚だけでもいいから、これだっていう写真をものにしようと思った。まだ、その一枚は無い。いつか必ず撮ってやる。オレはその一枚を、どうしても日本の中で撮りたい。

(撮影:三浦憲治)

 

ページ左・上から/アル・ディメオラ、カルロス・サンタナ、メリサ・マンチェスター
ページ右・上から/トッド・ラングレン、ビリー・ジョエル、スティーリー・ダン

 

ルー・リード

 

ページ左/パティ・スミス
ページ右・上から/チープ・トリック、ロッド・スチュワート、ニール・ショーン

ヒロ伊藤氏は 2014年に逝去
「ヒロ伊藤を送る会」(外部リンク)>>

写真雑誌「写楽」のこと、そして片手のカメラマン~ワンハンド・ヒロ(ヒロ伊藤)>>