少しでも人々の記憶に残るよう、早逝した渋谷ヒデヒロ氏の作品と音楽活動の記録の断片をここに記す。
photo by ヒロ伊藤
渋谷ヒデヒロ(渋谷英広)
1961年7月21日生―2000年12月14日没
福島県郡山市出身。
ギタリスト、サックスプレイヤー、作詞・作曲家。
早稲田大学在学中、音楽サークルMMT(Modern Music Troop)に所属。
オペラとファンクを融合させたバンド「ショコラータ」(Cioccolata)を結成。
結成当初のショコラータは、サウンド、ビジュアルともに、ポップ・グループ、リップリグ・アンド・パニック、ラウンジ・リザーズ、ギャング・オブ・フォーといった当時の最先端とされたアバンギャルドなサウンドやファッションを愛した渋谷氏のスタイリッシュな美意識で統一されていた。
在学中より、ショコラータとしてピテカントロプス・エレクトス等でライブ活動を行うとともに、スポイル(Sax)、メロン(G)等のサポートも行う。
その後PINKに加入し、メジャーデビュー前のショコラータを脱退。
多彩な才能と洗練されたセンスを持ち、特にカッティングには定評があった。将来を嘱望されていたが、体調を崩し1986年秋にPINKを脱退。
以後、表舞台に復帰することはなく、2000年に心不全のため急逝。
享年39歳。
メディア記事・その他
1stアルバム「PINK」に収録された「人体星月夜Ⅱ」のアンサー・ソングとして、ちわきまゆみの「メタリックヘブン」(作詞作曲:渋谷ヒデヒロ)が作られたという。
「ARABLE」ツアー
ライブツアーのメンバーとして、渋谷ヒデヒロ、岡野ハジメ、矢壁アツノブが参加。(1984年2月)
「ARABLEⅡ」ツアー
「ARABLEⅡ」ライブレポート(GB記事)
ライブツアーのメンバーとして、渋谷ヒデヒロ、岡野ハジメ、矢壁アツノブ、ホッピー神山が参加。(1984年9~10月)
1984年7月発行「ザ・ロッカーズ」日本ロック・バンド完全辞典’84(宝島)に掲載されたショコラータ。
東北音楽情報誌「Easy On」(1984年8月号)掲載。東北出身のミュージシャンへのインタビューコーナー「がんばる東北人」の記事。
ライブ映像・音源♪
学生時代のバンド活動やメジャーデビュー前のショコラータのライブ映像など、サックスプレイヤーとしての演奏も含む貴重な音源と映像の記録。
アートワーク
渋谷氏のイラストやデザインによるフライヤーやチケットなど。
作曲作品
作詞:イタリア古典詩/作曲:渋谷ヒデヒロ
作詞:かの香織/作曲:渋谷ヒデヒロ
作詞:不明(イタリア歌曲)/作曲:渋谷ヒデヒロ
作詞:Giovanni Battista Guarini(イタリア歌曲)/作曲:渋谷ヒデヒロ
(カセットブックTRA~Cioccolata Specialより)
作曲:渋谷ヒデヒロ
作詞:Pinuccia(イタリア語詞)/作曲:渋谷ヒデヒロ・渡辺蕗子
作詞曲
寡黙だったという渋谷氏はインタビュー記事での発言の記録もほとんど残されていないが、作詞した曲の世界は饒舌で豊かなイマジネーションに溢れており、また言語感覚の鋭さに驚かされる。音楽活動を続けていたら、どのような作品を生み出していただろうか。
(光の子/PINK)
1986年