「ピテカン物語」かの香織バージョン

フリーペーパー「DICTIONARY」に連載の「ピテカン物語」より(1995年6月号)

ピテカンのオープニングがどれだけえぐいものだったかは、小玉さんに教えてもらったけど、残念ながら600kmも原宿から離れたところに住む高校生だったからな。そりゃどう考えても行けませんよ。でもね、モイチさんのことはすごく知ってた。SMSより以前「流行通信」(当時入手困難で情けないが定期コードク)にカラー見開き2頁で音楽プロデューサーとしてインタビューされてたの。16、7の私だったけど、あ、この人ともうちょっとで会うことになるって気付いてた。

時は移り、東京に引越して間もないころ、「ショコラータ」を一緒に始めた渋谷くんがザ・スポイルでSAXやってたから、そのカンケーかどうか分からないけど気がついたらピテカンでライヴやるようになっていた。そのこと自体は素直に喜ばしい記憶として残っている。が、それ以外のことはどうにもこうにもその時代で言うところのカルチャーショックの連続で、いきなり歳をとってしまったような気分にさえなった。まずMELONである。MELONを観る前に観ておかなくちゃならないBANDやARTISTを全てオミットして、いきなりMELONを観てしまった。そよそよ踊るモデル、トシちゃん、チカちゃん、ゴータ、ヤンさん・・・よくよく考えてみると目がとびでそうなメンツがおりなすデメロンデメロン~。こんなホラ穴式住居のような場所でとんでもない龍宮城に遭遇してしまったタロー・ウラシマな気分だった。

ボロルック(なつかしいでしょ)なるものが全国的に飛び火したのも日本ではピテカンからだったわ。客もぼろぼろ派が常にうろうろしてた。そうかと思えばカウボーイ的な人もいたし、インディアンの酋長の娘、はたまたモイチさんのように40’sの仕立てのよいスーツを着こなすヌーベルヴァーグ調の大人もいた。ワールズエンドに全身を包んだトシちゃん。コルクでできたシャネルスーツ風なMELONブランドを着るサイバーなチカちゃんも超ベリッシマ!憧れのチカちゃんに「あんさん」と呼ばれた日にゃ卒倒しそうでした。MELON BRANDは、もちろん、MELONのコスチュームを主体にチカちゃんが着てたわけだけど、ある日ピテカンでギャラリーをする時があってそれぞれに値段がついていた。私が欲しかったそのコルク製のスーツは、8万円だったのを覚えている。見るからに一点もの風で慌てた私はすぐさまキープを入れた。コスチュームと言えば、東京ブラボーやキューティーズも昨今の60’s、70’sブームなんて比べる術もない位おサイケでした。ヅラやツケマツゲ、強烈でモーレツなツィギーぞろい。ピンクやムラサキのペーズリーがちかちかとほら穴に花を咲かせていた。80年代前半に70’s。今は95年だから、例えてみると今、80’sモードをやるようなものよね。10年前のモードをやるぎりぎり感って音楽で言えば、MIDI機能がついていないDX-7を使うみたいなこわさがある。

「STUDIO VOICE」 クラブカルチャー伝説80’sより

そごで「ショコラータ」のコスチュームをどうしようかってなったとき、モイチさんの紹介で、サチさん、ヨーコさん(現メルローズデザイナー)、ヘアメイクの風間さんに会った。ミユキやカナもスタイリングしてくれた。DEP’TがSAMPLEや珍しいデザインの50’sドレスなどを山ほど貸してくれて、「F.フェリーニの甘い生活」というモイチさんの一言に、こうかしら、ああかしらで、私は着せかえ人形と化した。何とも言えない空間に酔いしれた。映画「ファニー・フェイス」をみてると、どうも人ごととは思えないドキドキ感を覚えるのは、そのせいかしら。伊島薫さんやミック板谷さんに出会ったのもこの頃である。

ホラ穴の中は、東コレの時期になりと特にモデルの人口密度が高くなった。パリコレなどで売れに売れてるトップモデルともなにげに会話を交わす不思議さがあった。ヘアメイク室は、ハリウッドミラーが煌々と輝き、チカちゃんのメイクをしている河野ミツルちゃんが、「いやーん」といつものように何かに反応して楽しげである。来日外タレも必ずといっていい程、いたような気がする。タケ先生たちデザイナーの群れが毎回つくテーブルも決まっていた。

「ショコラータ」は、イタリアンカンツオーネ、イタリアンオペラの私の歌声とグラムロックをミックスしてみたり、アフリカンなリズム体要素を入れてみたりで、やりたい放題のことをやっていた。見にきていたマルコム・マクラーレンが自分のおシゴトにしてしまう程、それまでにないカテゴリーが妙にうけていた。必ず曲中に5拍子とか7拍子の変拍子リフがあって、世に言う不親切さが、ピテカンにおいては親切なココロミであるという法則も成り立っていた。
今でも客側のステージぎりぎりで、もみくちゃにされながら変拍子を数えてるブラボー小松が忘れられない。サカエちゃんも、ステージ側から見てもやっぱり目立っていた。マユ毛が太かったからかなあ。

トクさんサチさんミチさんセージさん、小坂さん、ゴンさん、なぜだかヨシミ(マッチョな裸体にオイルぬってるとこしか思い出せない)。ピテカンの豆茶、サンデーライブのメロンパン・・・。そして私は80年代前半に、普通だったらありえないはずの数々の奇跡をこの目で見てしまったことを誇りにしています。N.Y.やU.K.のクラブ、いろいろ行ってはみたけれど、ピテカンの空気の方が不思議で東洋的で独特に濃かったことを知ってます。

今、ピテカンがあった場所、イタリアンレストランになってるんだよね。TAXIで通るたびに、あの入口みちゃうんですよ・・・。工藤ちゃんいるかなって。

フリーペーパー「DICTIONARY」(1995年6月号)

 

TRA5「NEW ARTIST CATALOGUE SUMMER1984」より

ショコラータの断片(1)~中西俊夫自伝、STUDIO VOICEより>>