ミュージシャンの訃報が続く。
鮎川誠が亡くなった。(1948.5.2~2023.1.29 享年74歳)

宝島「ザ・ロッカーズ」の表紙を飾る鮎川誠(1984年)
鮎川誠やシーナ&ザ・ロケッツの音楽についてはほとんど知らないのだが、さすがにこの曲は知っている。↓
この曲が鮎川誠&細野晴臣の作曲とは知らなかった。補作(英語詞)にクリス・モスデルの名前も。(最近久々に聴いた高橋ユキヒロのアルバム『音楽殺人』の収録曲はクリス・モスデルの作詞)
鮎川誠は九州大学農学部農政経済学科の卒業生だが、私は以前その学科に数年間勤務していたことがある。
在学当時の彼を知る事務の女性いわく、「鮎川くんは中洲のおねえさんたちにモテモテでねぇ・・・」。
そりゃあそうでしょう。中洲ではダンスホールでバンド演奏の仕事をしていたという。
話によると、なかなか卒業論文が書けず担当の教官も苦慮していたそうで、選んだテーマは「田植え歌」だったという。各研究室に製本された卒業生たちの卒業論文が保管されているので、好奇心でその研究室に見に行ったのだが、黒の皮表紙に金色の文字で「田植歌における一考察」と記されていた。(あるいは「田植歌についての一考察」だったかも・・・)
想像するに、担当教官から
「じゃあ鮎川くん、どういう題材だったら書けそうなの?」
と問いかけられて、
「はぁ、音楽についてやったら、いくらでも語れるんやけど・・・」
といったやり取りの末、「農業」+「音楽」の組み合わせの中で、テーマの落としどころを見つけたのではないだろうか。
これは地域限定のCMだったのかしらん?
久留米出身の鮎川誠のお国なまりは、博多弁ではなく筑後弁。
ホッピー神山がレコーディングに参加した「Miss YOKOHAMADULT YUKO HARA 2nd」より、原由子と鮎川誠のデュエット曲「ヨコハマモガ」。

「Player」1985年1月号/愛用の黒のレスポールとの出会いについて語る
謹んでご冥福をお祈りいたします。