PINKのメンバーが関わった大沢誉志幸サポート関連の記事を幾つか上げてきたが、この時期の活動について岡野ハジメは「音楽プロデューサー岡野ハジメ エンサイクロペディア」(2019年シンコーミュージック刊)の中で、下記のように述べている。

(前略)・・・・・その後はPINKをやりながら、当時同じ事務所だった大沢誉志幸さんのバック・バンド仕事をカメ、ホッピー、渋谷君と共にやりはじめました。大沢さんは「そして僕は途方に暮れる」(1984)がカップヌードルのCMに起用されたりして、全国ツアーを50何本とか、2~3千人のホールでやってたので、かなり忙しかったですね。

(前略)・・・・・大沢誉志幸さんの他にも太田裕美さんとか、バック・バンド家業は随分やりましたね。レコーディングにも参加させていただきました。プロとしての日本のショウビズの中でどうやって生きていくかということを、リアルに考えさせられた時期ですね。・・・・(後略)

PINKは玄人ウケというか、いわゆるポップ・バンドではなかったですけど、大沢誉志幸さんや太田裕美さんなどのウルトラメジャーなポップ・プロダクツを同時に体験できたのは、とても良かったです。それにPINKはインディーズのアーティストとの繋がりがけっこうありました。JAGATARAとも友達だったので、彼らのスタジオでリハをしたりしてました。・・・・・(中略)・・・・・ウルトラメジャーとアンダーグラウンドの両方の代表選手とバランス良く付き合えたのは、その後の俺の人生の糧になりましたね。

Chapter3「ニュー・ウェイブと東京クラブ・カルチャー黎明期時代」より抜粋。

PINKについてもこの章で触れているので(画像もあり)、興味のある方は是非お読みいただきたい。


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