最近になって、初めて戸川純の「さよならを教えて」(1985年)を聴いた。
フランソワーズ・アルディ「さよならを教えて」(1968年)
日本でも知られているこのアンニュイなフレンチポップスが・・・・・
戸川純の手にかかると、生霊になりそうな妄執ストーカー女の世界に。
今更ながら、すごいな戸川純。
マーガレット・ホワイティング「It Hurts to Say Goodbye」(1966年)
こちらがオリジナルのアメリカのポピュラーソングで、フランス語の歌詞を付けて、フランソワーズ・アルディがカバーした。
木之内みどり「涙が微笑みにかわるまで」(1976年)
当時のアイドルのカバーはフレンチポップスそのままのイメージ。木之内みどりといえば、どうしても後藤次利を連想してしまう。
ライブ版はアレンジも違うし、それぞれに面白い。
改めてすごいな戸川純。
声も表情もくるくる変わり、太々しさ、狂気、滑稽さ、可愛さ、儚さも垣間見える。
「たとえ私が事故で死んでも、ホッとしちゃぁいけない・・・」の表情がたまらん。
改めてすごいな戸川純。
声も表情もくるくる変わり、太々しさ、狂気、滑稽さ、可愛さ、儚さも垣間見える。
「たとえ私が事故で死んでも、ホッとしちゃぁいけない・・・」の表情がたまらん。
1970年代までは、洋楽のポップスはフランスやイタリアなどヨーロッパ系のヒット曲もよく入ってきていたし、その前はラテン音楽ももっと身近だった。1980年代になると英米ものに偏って、あまり紹介されなくなったように思う。
PINKのメンバーのfavoriteを見ても、岡野ハジメはシャンソン、カンツォーネ、福岡ユタカはフランシス・レイ、渋谷ヒデヒロはブリジット・フォンテーヌなどを挙げている。
【対談記事】
戸川純 AND 福岡ユタカ(PATi-PATi)>>