●昨年11月の渋谷公会堂でのライブを最後に、バンドとしてのライブ活動を休止しているPINKの5th・アルバムがリリースされる。ホッピーの語る『RED&BLUE』について。
「PINKのファーストっていうのは、みんなの中にたまっていたものを、一気に発散させたカンジだったネ」
PINKが作られたのは’83年。デビュー・アルバム『PINK』がリリースされたのが’85年、グループ結成当時からすでにプロだった各メンバーのパワーが、2年間待たされ、爆発し、『PINK』になった、というわけだ。
’86年、2ndアルバム『光の子』。’87年1月、『PSYCHO-DELICIOUS』。そして同年10月『CYBER』がリリースされた。バンド内の6人がいろんな組み方をして個別録音、そうしてできたものを14個集めた1枚。バンド自体の遺伝子を組みかえてみせた実験作。
「そうやって一度、それぞれがやりたいことをやってみたわけ。でもそれは、アルバムの外へ向いた力じゃなかったかもしんない。みんな自分たちの中へ向いてった、ってカンジだったから」
’89年2月25日、5thアルバム『RED&BLUE』が発売される。前作と同じ方法で創られた作品。それでいて、外交的な力を体にも頭にも、ヒシヒシと送りつけてくる一枚。
「今回のヤツは、全員がほんと自由にやったから。『CYBER』のときはやりたいことやるっていっても、どっかでPINKを意識してたと思う。でも今度のは自分がやりたいことだけやった。1曲目の「ベルリンは宇宙」っていうのは、唯一全員が参加してる曲なんだけど(笑)、ここでも、エンチャンが自分の得意なパートだけ歌って、サビをボクがひきついで、みたいなやり方したりしてネ」
心底やりたいことだけをやる。それはアーティスト個人にとって理想形の形だ。自由だからハイ・テンションで、だから、自然なパワーが得られる。ただし、その理想を”バンド”の中で追及するのはムズカシイ。そいういう欲求は、ふつうソロ・アルバムの体裁をとる。けれども『RED&BLUE』はPINKの、アルバムだ。そこが実験的。しかも、実験に終わらせない力を持っているから前向きだ。
それにしても、このPINKの成分表のような5人のオムニバス。読み出すと止まらない。たとえば、福岡ユタカ。彼はここで言葉をも音化して野生をめざしているように見える。そこで矢壁アツノブが数学的に叩く。一方、岡野ハジメは強力に詞の世界で発言している。それから、ホッピーだ。オープニング、3曲目、ラストと、本人曰く「おいしい部分」に配置された彼の3曲は、このアルバムにポップな、それでいて耳に残る印象を与えている。
「ボクはこの3曲、ひそかにベルリン3部作って名付けてる。人から聞いた”ベルリンは夢のかけら”っていうひと言から1曲目が生まれ、3曲目はたたみかけるようなサビの詞が なくしていくもの を歌い、ラストはニコに捧げた。NICOっていう名は、ICONから来ているって知ってたからこのタイトルをつけて」
1曲目は”No Control”という言葉から始まる。
「PINKっていうのは1年ぶりに集まってもスゴイ音を出せるんだよネ。ただ、ボクとしては、もう少しバンドであってほしかった。そこがスゴク残念」
そして「ICON」は、”飛びたつのさ” という言葉で終わる。
「今は、一からバンドやりたいネ。たとえメンバーの中にアマチュアがいても、そいつらと同じところに立って、ライブハウスから始めたい」
今は、あっという間にデビューするバンドが多すぎる、と彼は言った。頭を使わないうちに登場してセカンド・アルバムはもう聞けない―――そんな奴らが多いと。
「ボクがやるとしたら、もっと精神的にもラジカルにやりたい。『バカヤロウ、みんなぶっつぶしてやる』ぐらいの姿勢でネ(笑)」
『PINK』という名前で始まった一連の作品は『RED&BLUE』という色分けで一区切りつけた。赤と青、地と憂ウツ、STOP&GO・・・・・いろんな対句を考えさせつつも、最良の一枚でコンマを打った彼ら。
「またいつか、”あいつらとやりたい”って思ったら、今のメンバーともネ!」
(文・今津甲)