曖昧さをたたえた表情、全体のムードにそぐわないようなギクシャクした印象。どうしようもなく何かがハミ出していて、それは野蛮さなのかなと思った。要するにある写真の中の彼にひかれた。それに、ふざけた名前でしょ?

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ホッピー神山はPINKのキーボーディスト。プロデューサー、プレイヤー、コンポーザー、アレンジャーとしても幅広く活動中の人。残念ながらライブを見ていないのだが、彼の話だけでライブのすごさは想像できた。
「最近、キーボードやシンセにグルリと囲まれて檻の中でライブやってるみたいなのが多いけど、あれカッコ悪いと思う。だってカラダが見えないでしょ。いろんな音色が出るからカッコいいというのは、ちょっとちがうと思うんだ。できれば1台だけでやりたい」
「ギターには負けちゃう。動物的だし気持ちが入りやすいからね、ギターは。それにくらべるとキーボードって目立たないし、プレイヤーの性格や気分はニュアンスとして出せても、何というか、もっと大きくアピールするものはあらわせないのね。カッコよくない」
「クラシック・ピアノを習ってたころから努力するのがキライで、練習はしないし、バレーボールとかで平気で捻挫してた。そのくせ一番じゃないと気がすまないの。今でもそう」
無頓着ゆえの粋と野蛮なまでの意地が芯になっている完全な肉体派。ステージでのあばれ方がまたヒドイらしい。
「PINKでは最近、禁止されてるんだけど(笑)、何でもやっていいっていわれたら、アドレナリン大放出で火だるまになっちゃう」
肉体の解放こそ音楽!なのだ。ステージでホッピーは自らの肉体を一番輝かせているのだろう。熱狂の極みの、肉体のしなやかさ、きわどさ、はかなさ・・・は美しい。胸の底にうごめき、わきあがる音が肉体をかけめぐる瞬間、音楽は確かにボディをもつ。ボディとしてあらわされる。プレイヤーの肉体が美しく見えてしまったとしてもしかたない。
ちらりとホッピーの全身に目をやる。ステージ上でなくとも、あるムード、をかもし出している彼は不思議にカッコよかったが。
こんな彼の音の原点は、水木しげるのまんがの世界だという。また、喜怒哀楽感情を外に出さない話(3才のときメンソレータムをぬっただけですまされた腕のケガ、何時間もたって病院にいくと骨折だった。5分遅かったら治らなかったといわれたが、それも彼の無表情のせい)、できるものなら南に島に住んで、やれといわれればパイナップル作って暮らしたいという話、無なによりもミーハーなリスナーでいたいという話・・・、などをした。
ライブと、フツウの自分との振幅を楽しんでいるようでもあった。
無表情だけど、情緒のやわらかい人だ。

文・四方淳子/写真・中村佐登志

「ギターブックGB別冊 BE TWISTED Vol.1 No.1 1986年 第1号」掲載