宝島社(JICC出版局)発行の「モダーン・スポット 84-85/NEW WAVE LIFE FOR NEW AGE」よりカラーページの紹介(続き)。
TOKYO MODERN BEATS & 3-D TOKYO
新し物好きのモダーン・ピープルに、刺激的なサウンドを送り続ける、モダーン・ロッカーズ。ごきげんなビートに乗ったファッションセンス溢れる感覚は、静まりかけた東京のミュージックシーンを激しくゆさぶっている。ステージの上だけではなく、普段の生活にも延長された彼らのスタイリッシュなライフスタイルは、音楽という枠に限定される事を拒否し、東京をとりまく様々なシーンから注目をあびるに到っている。

ニューウェーヴ感覚のロカビリー版”ジャン&ディーン”
”ブラックキャッツ”は、原宿のロックンロール・ショップ『クリームソーダ』チェーンから、全く新しいタイプのディニー・バッパー・バンドとして6人組でデビューしたが、現在はフロントのボーカル2人だけで活動を続けている。活動と言っても、本格的な動きはこれからで、リハーサルに余念がないそうだ。84年夏以降は連中のオールド・ファッションなロックンロールにニューウェーヴのフレイバーを加味した、全く新しいサウンドが聴けるはずだ。

東京一のグリッター!
シックスティーズと言うよりも、昭和40年代風のテケテケ・ギターとティーティー・オルガンが印象的なロックンロール・バンド、”トーキョー・ブラボー”。その独特のB級センスは日本のロック・シーンでもかなり貴重な存在。結成からすでに3年はたっているが、ライブ活動が不定期なため、なかなかその姿にお目にかかることが出来ない。メンバー3人の個々のキャラクターを活かした音楽以外の活動も盛んのようだが、レコード・デビューを期待する声が高まっている。

アナクロ文化とデジタル・カルチャーが交錯するメガロポリス、それが東京だ
7年前の、1977年のこと。
ロンドンでは『100クラブ』や『ロキシー』のボール・ルームで、”ザ・クラッシュ”のジョー・ストラマーが「ロンドンズ・バーニング!」とパンキーボーカルで絶叫した。
ニューヨークで「アイ・ラブ・NY」などという馬鹿げたキャンペーンが大々的に実施されていたその一方で、『CBGB』や『マクシス』で”テレヴィジョン”やパティ・スミスが、気怠い都市の歌を演奏していた。
そして東京では、”プラスチックス”が「トーキョーズ・バーニング」と叫んでいた。原宿『シネマ・クラブ(現モンクベリーズ)』でのことだ。
そう、丁度あの頃からだ。東京が<プラスチック・シティ>と呼ばれはじめたのは。世界のTOKIOとして存在していた東京は、あの頃を境にして人口色が鮮やかに輝き出した。TOKIOはニューヨークともロンドンとも全く違った意味で、<退屈>で燃え始めていた。
この街には世界中のあらゆるモノが集まってきている。情報もあふれんばかりに。そしてそれらひとつひとつはどれも表面的なものばかり。徹頭徹尾、深みのない都市。
「東京のスゴさって、単に皮相的にスゴイってだけだよ」と言うだろうか? しかし、「上っツラだけでどこが悪い」
戦後出来上がった東南アジア的なとも言える文化と、あふれる表面だけの、デジタルカルチャーが交錯する、まるでオモチャ箱をひっくり返したかのようなキッチュなアメージング・ワールドが広がる。
それは世界のどの都市とくらべても、パワフルでエキサイティングだ。プラスチックのように、鮮やかで浅はかな色が東京に点滅する昼も夜も。
そして7年を経過した今、スピード都市TOKYOは、世界中の好奇の目を一身に集め、更にエキサイトしつづけている。

ファッショナブルなダンス・バンド
先端的な流行を敏感にキャッチすることに秀でた、スタイリストなバンド”メロン”。実質的なメンバーはボーカルで元プラスチックスのトシとチカだけで、この2人に何人かゲストを加えて原宿のクラブ『ピテカントロプス』で毎月ライブを行ってきた。結成当初はメロディアスなポップ・ナンバーが主体だったが、現在はより先鋭的なテクノ・ダンス・ミュージックにトライしている。84年秋からは『ピテカン』から独立、旧友の立花ハジメと共に活動する噂も。
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