PINKとアーバン・ダンス。ともに同じ時期に活動を開始し、同じ時期にデビュー。しかもどんな種類のブームやシーンに属さずに、独自の経路をたどってきた。サウンドのスタイルや表現方法こそ違うが、次の時代の中心的存在になり得る存在だ。セカンド・アルバム『光の子』が好評のPINKは、ヴォーカルの福岡ユタカ、6月に『2 1/2(トゥーハーフ)』をリリースするアーバン・ダンスは、リーダーの成田忍。その2グループの代表者は意外なところに接点があった。
福岡 ボクたちがはじめて会ったのは、かなり前のことだよね。PINKを始めた頃に、とある女性が仲介になって紹介してくれて・・・・。
成田 そう。夏の暑い日にボクの方が遊びに行ったんだよね。たしかアーバン・ダンスのファースト・アルバムが出た頃だった。
福岡 もちろんその前から、忍クンがやってた4-Dのことは知ってた。当時PINKはかなり過激なファンクをやってたし、4-Dもそうだった。すごく気に入ってたんだ。
成田 あの頃はまだマニアックなことをやってた。シート・レコードを作ったりしてね。
福岡 そういうのを本当はあの頃のPINKでもやりたかったんだ。カセット・ブックが流行してて、一時期は自主制作レーベルから出すことも予定していたのにダメになったんだ。PINKっていうのは、どのブームにもふくまれなくて、特別なポジションにいたことも原因だったのだけど。
成田 あの頃ってちょうどテクノやニュー・ウェーヴが弱体化しつつあった時期で、PINKも4-Dもそれにかわるダンス・ミュージックをやろうとしていた。ボク個人の感想としては、PINKのファーストを聴いた時、やっぱりライヴのほうがおもしろいと思っちゃったんだ。
福岡 昔のPINKを知ってる人は、みんなそう思ったみたいなんだ。まぁファーストの場合は、今までにためてたものをいっきにはきだしたって感じ。今聴いてみると、りきみが感じられるところが逆におもしろい。ちょうどあの頃PINKはそれ以前のファンク的要素とはかわってきた時だったしね。すくなくともライヴとはちがうものだった。
成田 なるほど。
福岡 ボクは4-Dは見たことなくて、アーバン・ダンスになった後、わりと最近見たんだけど、手法はいわゆるテクノだよね。だから、その時に思ったのは、これからレコードとライヴの音のギャップをうめるのが、やるたびに大変なものになるだろうなってことだったんだよね。このことについては、PINKも同じことなんだけど。
成田 その点については、レコードもライヴも回数をかさねていけば良くなるはず。そうならなければいけないことでもある。
福岡 ただ、やはりPINKとアーバン・ダンスとでは、グループのタイプからすれば対照的。同期ものをエッセンスとして使ってるのと、柱にしているということでもね。ただ、おたがいにリズムにはこだわっている。
成田 たぶん今度のアルバムでボクたちがやってることは、ある意味ではPINKとも近いと思うよ。たしかにボクたちはテクノだし、それゆえに肉体への欲求みたいなものを追求してる。それにボク自身にとってのビートやリズムというのは、自分を解放するためのものなんだ。それに自分に力をあたえてくれるものでもあるしね。
福岡 今度のアーバン・ダンスは日本語でやってるけど、ボクの場合は2枚のアルバムで、意味のない言葉をならべたものを数曲やってる。音で十分に語りつくされているものには、意味のある言葉はいらないと思ってる。人の声やリズムっていうのは音の根源であるわけだけど、そういうことではボクにとって、いちばん解放されるのはオリエンタルなビートなんだ。もちろんそればかりやっていたんじゃあきるけどね。今度ロンドンにいくんだけど、きっとそこではじめて自分たちの音楽が相対化して見えてくるんじゃないかな。
成田 海外に行くっていうのはとてもいいことだと思う。自分のことがあらためて客観的に見えてきたりする。それにロンドンあたりなら、ライヴを見てる人も酒を飲んで酔っぱらってる場合が多い。酔ってる状態でゴリゴリのビートに反応する人はあまりいないから、そういうのを実際に目の前にしてやってみれば、自分たちのビートが人にどんな影響をあたえているかも見えるはずだよ。
福岡 考えてみると、やはり日本にはロックというのはあってないものって気がする。たとえばイギリスやアメリカだったら、今聴いても、歴史の中で見ても、光っていて、オリジナリティのあるレコードっていうのがあるけど、日本の場合、過去をふりかえってみてもそれがほとんどない。特に最近はみんなブームの中で目立ってるという程度の連中が多すぎる。ブームが主体で、その人は主体じゃない。それじゃ、あまりにもつまんないし、さみしいよねぇ。
成田 いいことをいうね。本当にそれだけじゃさみしい。さいわいにして、ボクたちはそういったブームから飛びだしているんだけどね。今、音楽をやってる連中って変に頭が良くなりすぎていて、世わたりばかりうまくなっている。演出ばかりに目を向けて、肝心な部分が欠けている。目立つような過激な音ばかりを作ってうけをねらったりとか・・・・・。
福岡 それはいえる。話がうまい人間というのも多い。その話のうまさに聴き手がごまかされてしまってるみたいなことがあるじゃない。そういうのってイヤだし、ボクは相手にしたくない。たとえば作品よりも前に、自分の生きざまみたいなのを強調してようなヤツ、ファッション化するのはいいと思うけど、ロックはどんどん子供っぽくなってるよ。だから一見中身が濃そうなのが、まるで本物のように思われたりする。でも、そんなのはごく小さな波で、本当の大きな波はいずれくるはずだよ。
成田 いずれ絶対くるよね。その波の中にPINKやアーバン・ダンスの存在があればいい。というよりなければいけないと思ってるけど。そうじゃなかったら、2人で一緒になにか他のことでやってるっていうのもおもしろい。
福岡 この2人で一緒になにかやったらすごそう。絶対に意見のくいちがいがでてくるだろうね。
成田 でも、くいちがいみたいなものがでてこないと逆におもしろくないし、やる意味がなくなる。けっこうすごいのができるかもしれないよ。さっきいわなかったけど、ボクは曲や音を作る時は、自分の声で作ってるんだ。それを後で別の音におきかえてる。
福岡 そういうやりかたをしてるの?そんな感じには思えなかった。またちょっとアーバン・ダンスに対する見かたが変わったよ。ボクの場合は好きなことやりたいほうだから、口やかましいかもしれないけど。
成田 だろうね。だからPINKの場合は、今プロデュースを自分たちでやってるけど、そのほうがいいと思う。余計な人をくわえれば、まとまるものもまとまらなくなる。ボクの場合は1から10まで自分でやってしまうから、それを客観的に見てくれて不純物をいれてくれるような人が必要だけど。まあ逆にPINKの場合も、意外性をねらうならプロデューサーがいてもおもしろいとは思う。
福岡 自分でもイヤだとはいいつつ、おもしろそうだったらやっちゃえみたいな気持ちもあるよ。たとえプロデューサーがいじっても。つねに全部が自分のオリジナルと断言できるようなものが作れれば、それが最高。
成田 そういうふうに堂々と言えるようになるのが理想的。その考えかたは共通してるよ。
(構成:山田道成/撮影:磯田守人)
「Rockin’f」1986年8月号掲載