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「一見、毒があると思えるのは毒じゃない。おいでおいでしながらやっていくのが本当のラディカルだと思うし、やっぱキレイな花じゃないと人は寄ってこないしね。そういう意味じゃ日本のロックなんて全然スキャンダラスじゃないよ。やっぱりね、ある程度、構造的にスキャンダラスなものを持ってやっていきたいし、そういうものを持っていけるバンドってウチぐらいなものかもしれないなって気はするのね。ある種の。
で、毒とかスキャンダラスっていうと、ビートたけしさんのね、あのぐらいのバランス感覚が必要だと思うんですよ。ちゃんとバランスとれないと、あの人はこういう人だってくくられちゃうでしょう? くくられちゃ絶対ダメだからさ。くくられて、ハイこの人はここに鎮座して下さい。ああ、相変わらずやってますね、じゃあね。そこからズレてかなきゃ。ドンドン知らないうちに変わっていけばね、誰も油断してられなくなる。だから変り続けていくのって絶対必要だよね」

ただ、ベーシックなものを抑えた上で変り続ける人間と、ベーシックなものを知らない強みで変り続ける人間っているよね。

「どちらかっていうと、ボクなんかその中間の人間だと思う」

うーん、残りのメンバーは全員前者に当てはまると思うけど。

「オレ自身はね、実を言うと徒党組むのがイヤだっていう自分と、かといって一人じゃ何もできないすごい寂しがり屋の自分があるわけ。ホントはうまい汁吸いたいんだけどさ、結構ワーッてみんなの中でやっててもさ、絶対にこれは違うってオレ思っちゃうんだよね。素直に喜べない。顔に出ちゃう。だってロックやってる奴って、多かれ少なかれみんなそうだと思うんだけどね。ただ、全部その視点で見たらね・・・・・。信じねえぞ!っていうことを起点にして物事を解体に持ってくとね、それだけじゃさ・・・・・。まあ、あくせく今は結論出したりしないで、徐々にやっていきたいと思うけど」

自分と、自分の仕事としての音楽に対面する時、その状況を都合よく解釈したりしないであるがままの姿で受けとめ、前進し肯定していく福岡ユタカ。全ての異なったエレメントを引き受けた上で、いさぎよく振るまう姿には、えも言われぬ自信が備わっているように感じられる。

 

日本というフィールドの内にあっては、飛び越えることのできない何かがいつでも目の前に立ちはだかっているという点で、ミュージシャンもオーディエンスも同質の問題を抱えているといっていい。

「シュミの良さだけじゃダメなんだよ。パワーが決定的に不足してる。キャパシティっていうか、ふところの深さ、がね」

意志の強さ、信念、そういった言葉で形容しようとすると、こちらが吹き飛ばされてしまいそうなエネルギッシュな勢いだ。
人種間のネットワークの活性化などとうてい望めるはずの無いこの島国にあって、福岡ユタカは集められるだけの情報と、触れられるだけの人間に出会って、自らを伝導体にしようとやっきになる。

「もう、アレンジもへったくれも無い、出てきただけで圧倒しちゃう、みたいな曲を作ってみたいんです」

瞬発力も持続力も含めた豪快な笑いが目の前にあった。

 

(文:岡本 明/写真:佐藤奈々子)

 

「Tangled up in blue」Vol.1 No.3(1985年9月発行)掲載記事

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