君はスペース・サーカスを知っているか? 70年代末、フュージョン・ブームの中、激烈なテクニックで異彩を放ったスペース・サーカスが残したオリジナル・アルバム二作が、この度リイシューされた。当時の思い出話などを岡野ハジメ氏に語ってもらった。

―――スペース・サーカスの演奏って、今、聴いてもとんでもないですね。

「とんでもないですねえ。30年ぶりに聴いて自分でもびっくりしてます(笑)」

―――とりあえず岡野さんのスラッピング・ベース(弦をブチブチはじく奏法)がとんでもない。

「うまい人は、きっといっぱいいたと思うんですけど、ああいう馬鹿げた、トゥー・マッチな感じは世界的に例を見ないんじゃないですかね。当時、僕は20歳の大学生で、ドラムの小川くんに誘われてとにかく弾きまくっていた。まだ70年代で、業界自体が確立されてないし、周りも自分もわかってない状態でレコーディングした作品なんです。だからいろんな意味でカルトですよ」

――― 一枚目の勢いが凄い。

「こうしてスペース・サーカスのことを話すのは生まれて初めてかもしれない。当時も取材を受けた記憶がないんですよ。ロック専門誌もなかったし。だから、今回こうして話せるのが新鮮で嬉しい。勢いという点では、僕の記憶が正しければ、一枚目はトラックダウンまで含めてたった三日で作ったんですよ。記憶違いでも一週間はかかってない。今のインディーズより金がかかってない。ヒイヒイ言いながらやりましたね。初日に ”休ませてくれ” と言ったら怒られた(笑)」

―――ひどい。

「 ”プロだろ?お前は” って言われてね。プロってこんなに大変なの?って。大ウソなんですけどね(笑)。それくらいお金をかけたくなかったんでしょうね。一枚目は、ほとんどスタジオ・ライヴですね。もちろんバンドの意向じゃないよ!ほぼ一発録り。テイク1、2、どっちか、みたいな。24チャンネルのアナログですから、パンチイン、パンチアウトもままならない。間違えずにできたらOK。そういう意味では脚色のないドキュメンタリーですよ」

―――二枚目は、まとまりが大幅アップ。

「セカンドは仕切り直して、ちゃんとやろうよ、と。ダビングもするぞ、と(笑)。要素は増えましたね。ドラムにリヴァーブもかかってる、でも、それが古い。78~79年の日本の技術の限界が見えちゃってる。聴くまで逆だったんですが、トラックダウンをやり直すとしたら二枚目ですね。作品性みたいなのは確かにありますけど、やっぱり当時の技術なんですよね。コンピュータ・ミックスもないし、デジタル・リヴァーブもない。ドラムにかかってるへっぽこなリヴァーブも、二系統の鉄板リヴァーブのどっちかけるか、くらいしかなくて。あれは歌謡曲のリヴァーブですね」

―――技術的問題が。

「ただ、二枚目は楽曲的には楽しめたんで、もしグランド・マスターが存在するのなら、自腹切ってもミックスし直したいですね」

―――プログレというか、ハード・フュージョンというか。当時、フュージョン・ブームの中にスペース・サーカスもいたわけですが・・・・・。

「でも、今で言うところのフュージョン、クロスオーヴァーのすかしたジャズっぽさじゃなく、昨日までディープ・パープルをコピーしてたヤツらが、ハービー・ハンコックとかチック・コリアとか、ジャズからロックへの殴り込みにガツンとやられて、”なんじゃ、こりゃ!?”と思って、そっちに行ったんですよ。だから根っこはロック。和田アキラにしろ、野呂(一生)くんにしてもロック・ギタリストとして優れた人が、ジャズ界からの殴り込みにパンクなものを感じて、そっちへ行ったということだと思うんですよ。そして、その中の真面目な人たちはジャズを正しく学んで、ちゃんと改心して正しくうまい人になったんですね。でもスペース・サーカスは最後まで反省の色がなかったね(笑)」

―――ギターの佐野さんもすごくうまいですね。

「佐野君は非常にうまい。今まで僕が出会ったギタリスト、何百人といると思うんですが、その中で三本指に入る。僕が大学二年の時に初めて会ったんですけど、最初から激烈にうまかったですね」

―――あの当時、こんな演奏聴いたら、みんなビックリしますよ。

「びっくりさせるうまさはあっても、音楽家としての正しいテクニックじゃないよね。こういう姿勢はいまだに大好き!(笑)」

―――ハッタリかける。

「できないことができる喜び。音楽じゃなく若気の至り的なもんだよね。スケボーの技が、どんどんできる喜びに近い」

―――特に一枚目は岡野さんのベースがこれでもか! とばかりに。

「ベースばっか。ギターが弾けることをベースができないはずはないと思ってましたからね。もともと友人に”ベースいないからお前やれ”と言われて17歳の時にベースを始めたんですけど、ルート弾きばっかりでつまんないから、”いつかはリード・ギターになるぞ!”と密かにフライングVを買って練習してたんです。そうしたら76~77年になるとベースの凄い人たちが現れたわけですね。俺は、もともと黒人音楽大嫌いだったんですよ。”アフロとヒゲは禁止!”みたいな少年時代だったんです。そんな時、高校三年生の時にFMで偶然スライ&ザ・ファミリー・ストーンを聴いて、ものすごいショックを受けて人生が変わった。そしてベーシストだったラリー・グレアムのバンド、グレアム・セントラル・ステイションの二枚目をジャケ買いして、また衝撃を受けるんですね。細野(晴臣)さんが解説を書いてて、その中に”これは親指で弾いているらしい”という一文があって、それを頼りに耳だけで一ヶ月かけて、アルバム全曲完全コピー! みたいなことをやってるうちに俺のスラップ人生が始まった(笑)」

―――ベースの音数が尋常じゃない。

「非音楽的な。そうした音楽って、あんまりないですよね。やっぱり皆さん、そこそこに反省の色が・・・・・。あとひとつ、あの時、気がついてればな、と思ったことは、スペース・サーカスの音楽って、ものすごく難しいベンチャーズみたいなものなんですね。テケテケテケに代表されるまったく人の役に立たないテクニックとステディなリズム。当時、それに気づいてれば商業展開がうまくいったかもしれないね(笑)」

―――最後に今回の再発はすでに入手しにくい状況ではありますが・・・・・。

「実はこのCDが出ていることを友達から聞いたんです。しかし、現時点でこの作品は僕らアーティスト・サイドのもろもろの権利が宙に浮いたままなんです。なので、とりあえずファースト・プレスで出荷を止めさせてもらいました。もちろん僕らもこれで大儲けしようなんて考えてもいないんですが、21世紀の今、こうした再発や配信で新たなビジネスになって誰かが利益を上げるわけです。その権利の外にアーティストがいるのは納得できないので、その辺の交通整理をした後に、正しい形で再販しなおしたいと願っています。作品の内容ではなく人権の問題です。あともう一点、僕の個人的な考えで皆さんに伝えたいことがあります。今回の初CD化のマスタリングはビクターの小島氏がやってくれたんですが、そのことも後から聞いて、たまたま信頼できる好きなエンジニアだったので助かったんですが、多くの再発は誰がマスタリングしてるか、いい加減な物も多々あります。マスタリングは原版制作の最終段階でアーティストの責任の範疇だと考えます。世界中で著名なマスタリング・エンジニアが存在するのも、マスタリングによって作品の内容に劇的な影響を及ぼすからです。再発、配信のマスタリングはアーティストの許諾を得てほしい。これは業界人、アーティストに向けて現代の常識として定着させてゆくべき命題だと思ってます」

【スペース・サーカス/プロフィール】

75年頃、小川宜一(ds)が佐野行直(g)らと結成。岡野ハジメは3人目のベーシストとして76年頃に加入。のちに山際築(key)が加入し、78年2月にRVCより『ファンキー・キャラバン』でアルバム・デビュー。当時、新たな音楽ジャンルとして注目されていたクロスオーヴァー/フュージョンを取り入れたプログレッシヴ・ジャズ・ロックが話題になる。79年にはヴァイオリニストの豊田貴志が加入し、傑作『ファンタスティック・アライバル』をリリースするが解散。2006年6月25日にAltavoz/スカイステーションよりオリジナル作2枚が紙ジャケ化された。
取材・文・アルバム解説/杉山 達
撮影/坂本正郁

 

「ストレンジ・デイズ」2006年10月号

★『ファンキー・キャラバン』『ファンタスティック・アライバル』は、2008年4月にボーナス・トラック追加、メンバー監修の最新デジタル・リマスターで再リリースされた。