バンドの誕生・存続が困難な今の時代、そして世界中どこよりも多種多様な音楽が渦巻いているだろう日本のミュージック・シーンに登場した6人組のPINK。バンド名もさることながら、そのサウンドのインパクトたるや相当なものがある。PINKに要注目!そしてショッキング・ピンクな音色との出会いに耳と心の準備を! ●大伴良則


日本って国は、ポップミュージックに関して特に変な国であることは誰もが知っている。なにしろ、いわゆる邦楽レコードの数と同じぐらいの数の異国のレコード、いわゆる洋楽レコードが常時リリースされ、それがほとんど同じ値で市場の中で競ってるわけで、イタリアとかフランス、北欧各国の市場が似ているといったって、これほどの混乱市場の比ではない。自然にというか、なんというか、洋楽のような邦楽や、邦楽のような洋楽も、伝達過程であらわれるわけで、ラジオから、アルフィーとマイケル・ジャクソンがメドレーで流れたりして、聴いてるこっちも、音のクォリティが同じように思えちゃったりするんだから、やっぱりこれは異常だと思うね。

私事で恐縮だが、英米のレコードと、日本のレコードを、同じ耳で聴くなんて器用な芸は僕にはできなくて・・・・・それでも、はっぴいえんど後期分解期とリトル・フィートをいっしょくたに聴けるようなことはあったけど、この節のように、アレンジのパクリの氾濫する邦楽ポップスと洋楽を同じ波長で聴けるなんてことはなくなってしまった。パクって悪いなんてことはなく、洋楽同士の中でもパクリはいっぱいあるけど、そこは例えばアメリカのような多人種世界のたくましさというかなんというか、BLOODYなもの、つまり自分の血の香りを投入しているパクリが多いから、別の個性をみつけたように受け取れるので、パクるんだったら、日本人ももっとうまく血を出してほしいなんて思うのだ。

関係のない前置きが随分長くなってしまったが、長い間気になっていたPINKというバンドのデビュー・アルバムがやっとでき上がって、これを聴いたら感心してしまったからである。PINKは、れっきとした日本の6人組のバンドで、ボーカリストの福岡ユタカも日本語で歌っている。したがって、僕の常なる習慣として、邦楽用の耳を用意して、それでも聴くはずのものなのだが、これがどうしてもしっくりこないのである。PINKがずっとバックアップしてきた大沢誉志幸のレコードの時にも、僕は邦楽用の耳を用意して、プリンスの時と同じ耳で聴かなかったというのに、PINKのサウンドには、このナイーブな公式があてはまらなかった。
日本の洋楽関係者が気軽に使うイヤな言葉に「〇〇〇ばりのサウンドだね」とか、「日本人にしてはやるもんだね」といった類がある。これすなわち、洋楽用の耳一個(正確には一組)ですべてことたりる・・・・・俺たちは高度な御洋楽を常日頃聴いているんだよ・・・・・といった思い上がりの産物であって、そういう奴に限って、ボン・ジョビぐらいしか聴いたことがないというのが多い。
耳一組でことたりるほど、日本の音楽シーンは単純であまくないと思っているから、僕はせいぜいあれこれ耳を使い分けているが、これは誠意のたまものだと信じている。

しかし、このPINKのサウンド・・・・・これはPINK用の耳を新たに用意しなければならない。イヤなことだけど、便利だから、敢えて借用すると、本当にこのサウンド、日本人ばなれしているのである。でも、洋楽のおいしい所をコピーしたものではない。おかしないい方だけど、”十二分に日本人している”のであって、つまり、現在の和製ロックやポップスのレベルをぐーんと超えてしまっているから、僕はとまどってしまうのだろう。こういう経験は、後藤次利と坂本龍一の曲のいくつかと、このPINKのアルバムのゲストに入っているキーボード・プレイヤーの川島BANANAがアレンジした曲のいくつかに感じた時以来のもので、PINKはLP全体でそれを持っているから、こいつは凄いのである。

PINKのこれまでの仕事から、僕は、岡野ハジメのベースと、ホッピー神山のキーボードとアレンジが特に気に入ってて、バンドとしてのデビューでも、それが中心になってくるだろうと安易に予想していて、これをものの見事に裏切られた。確かに、岡野やホッピーのセンスも十二分に発揮されているが、このバンドのフトコロの深さが予想以上のもので、個人のセンスがリードする、といった常套手段で判断できるようなものではなかったのである。それは、福岡ユタカのボーカルや詞も例外ではない。

このデビューLPでよく解ったのは、PINKのメンバー6人は、それぞれに高度なテクニシャンであることと同時に、それぞれの音楽テイストがかなりバラバラであって、ところが、そのばらばらのモノを一挙に終結させる能力を持っているということだ。だから、ファンクであり、エスノであり、電子音楽であり、ロックだが、いいあてるイディオムはひとつもないサウンドだ。これでよくバンドとしてやってられるなぁ、なんて変な心配までしてしまうが、メンバーそれぞれのテイストの差異をメンバーがよく知っていて、他のメンバーのテイストをうまく利用しながら自分のテイストを出す・・・・・ということができるんだなぁ。スタジオ出身のセッション・バンドが、目指すとも届かずの所を、このPINKは難なくやっているわけで頼もしいものだ。
心配なのは、この高度なレベルが誤解され、「日本人ばなれしたバンド」という好奇の目だけで判断されてしまうことだが・・・・・まぁ、このバンド、そんなこと気にしちゃいないことだろう。

PINKサウンドをさらに浮き彫りにする対談を用意しました。>>

「アドリブ」1985年6月号掲載