福岡ユタカ(PINK)インタビュー

福岡ユタカを初めて見たのは5年前のこと、彼が近田春夫&ヴィブラトーンズで活躍していた頃のことだった。その後、ヴィブラトーンズは自然消滅。だが、ステージでアクティブに動き廻り、独特のハイトーン・ヴォーカルを発していた福岡ユタカのことは、その後もずっと脳裏に焼きついていた。そして’85年、僕はPINKというバンドのメンバーの中に、再び彼の姿と名前を発見することができた。しかも、そのデビュー・アルバム『PINK』には、おそるべきビート感が打ち出されていた。耳ざといオーディエンスの間でこのアルバムが噂されていたことは言うまでもない。

そのPINKが2ndアルバム『光の子』を2月25日に発売する。これまた耳うるさい連中を楽しませ、話題に花を添えるに違いないアルバムだが、前作との大きな違いは、サウンドや歌に込められた”色彩”にある。名は体を表すコトワザどおり、前者が”暗”なら、この『光の子』から発散する色彩は”輝”とでも言うべきか。くどくど書くより福岡ユタカ自身にアルバムのことを語ってもらおう。

「最初は”ラヴ・トゥリーズ”というテーマでアルバムを作ってたんだけど、もっとスピード感と攻撃性があった方がいいというので”光の子”というテーマにしたんです。子供って、そういうところがあるからね。理不尽なふるまいをするし大人から見るとデタラメだし、予測できないところがあるし、そういう意味で”光の子・・・・・で、このテーマにはエスニックなものも強くて東洋、中近東とか、欧米から見たオリエンタリズムじゃなくて、自分から見てるオリエンタリズムというのを凄く出したいというのがあって、それは出ていると思うんだ」

彼の言葉どおり、『光の子』にはオリエンタルなムードが漂っている。インドネシアのガムラン音楽のような妖光を放つところもあるし、東洋ならではのエネルギッシュなムードも、ふと感じ取ることができる。だがPINKというバンドの魅力はムードだけにあるのではない。このバンドの魅力は楽曲全体の力強さにあり、そして曲が完成されるプロセスもまた、オーソドックスで力強い。

「まず、どういう世界を作りたいのかというのがあって、次に曲ができて、アレンジがあるっていうやり方。そこまで綺麗な順序で並んでないこともあるけど、そういうのが太い幹としてある」

何でもない作品の作り方だ。だが、こうした正しい作品の作り方をしているミュージシャンは、どれだけいるのだろう。取って付けたようなアレンジ、どこかで聴いたようなメロディ、イマジネーションに乏しい世界。PINKはそうした音楽を横目で見ながら、テクニックでなく、感性を活性化させることで強烈なオリジナルを作りあげていく。PINKイコール、テクニシャン集団というイメージも強いが、違うんだよなーというふうに彼はそれを否定する。

「どうしてもPINKっていうとテクニシャン集団とか言われてね、困っちゃうんだよね。スタジオ・ミュージシャン的なテクニックはみんな持ち合わせてないしね、フメンには弱いしね。だから新しいタイプのミュージシャンだとは思うんだけど、テクニックをつける手段としてスタジオで仕事するとか、そういう目的できてる人はひとりもいない。やっぱり音楽を聴いて、これどうやってやるのかなと、それでコピーを始めて自分の好きなものを探って作っていくわけでね、子供が積木をしてるのと同じようにね。それで身についたテクニックだからね、何でもできますよ的なテクニックを持った集団だみたいなことを言われると心外だし、そういう仕事は全然やってきてないんだけどなー」

しかし、メンバーのひとりひとりが出色のセンスと才能を持っている点は、福岡ユタカも大いに認めている。未来に向けての自信も抱いている。

「今のメンバーっていうのはひとりひとり才能があるし、この先PINKが大きくなれば自分の世界を作り得ていく人だから、そういうものがみんなでできるようになればいいな」

セルフ・プロデュースをやりながら他のアーティストのアレンジなども手掛けてしまうPINKは、独立国でありながら出入国が自由というフレキシブルで活動的なバンド・システムをとっている。感性がモノを言うバンドは、こうでなくてはならないと思う。
3月下旬からは、全国12ヶ所のホールをまわるツアーも行われる。彼らのショッキングなライヴを、ぜひ目撃して欲しい。

(インタビュー、文/森田純一)