解説です。
岡野ハジメは「昔のPINKって野蛮なバンドだったよね」と言った。窪田晴男は福岡ユタカを称して「今のPINKじゃ不利ですね。いいカッコするの向いてない。あの人は部屋に帰ったら真っ裸でTV見ててほしいな」と言った。近田春夫は「あのピラピラした衣裳はヤメてほしいね」とも言った。

やっぱりPINKは大変なバンドなんだろうと思う。おしあいへしあいしたパワーのせめぎ合いがマイナス方向に駆動した時のダメージの大きさはホッピー神山の発言にもあるように察するに余りある。そのパワーのせめぎ合いが無意識のうちに有機的に作用していたのが、PINKの前身たる「おピンク兄弟」~PINKの初期(1stアルバムリリースの頃まで)あたりの時期ではなかろうかと思う。(「おピンク兄弟」は沖山優司、鈴木賢司、じゃがたらのOTO等、いろいろなメンバーが出入りしていた。”MOON STRUCK PARTY”は当時からのレパートリー。)

デビュー寸前の東横劇場のステージで初めて”DANCE AWAY”を聴いた時の驚き、そしてLPヴァージョンの”DANCE AWAY”の更なるパワーと圧倒感。今でもパワーdownした時には”DANCE AWAY”を聴く事がしばしばある。(蛇足だけどあの曲の布袋氏のギター・ソロは未だにボウイよりスゴイと思う。あんなソロ弾く奴、ざらにいねーよ!!)

IND’S誌上で言い訳がましく書いたがPINKへの期待故の暴言ではある。4月5日、中野サンプラザでの”PSYCO-DELICIOUS ACT-Ⅱ”最終公演はとりあえず成功裏に終わった。ツアー初日の2月25日、横浜公演と比べて演奏のこなれはよくなっていたし、ホッピー、スティーヴコンビのダンス等見せ場もいろいろあった。しかしアンコールで演奏した初期作品”ジェットモグラ”がいちばんカッコよかったのは何故だ?

我ながら、わがままなリスナーだとは思うが、まだ音楽に多少の期待はある。PINKが今みたいにどこか硬直したまま『10万、20万枚LPが売れるようになって、なんだか安全地帯がロックっぽくなったような形で売れて行く(岡野ハジメ談)』---そんな姿は僕だって見たくない。とりあえず4枚目のアルバムは既に制作が始まっている筈である。

(構成/杉山 達)

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別冊IND’s「Chart」掲載(1977年7月発行)