---ところでエンちゃんは誰のために音楽を作ってるのかな?対象というものを想定している?

「う~ん、そういうのとはちょっと意味が違うのかもしれないけど、僕はね、ウチのオバアちゃんに ”この曲いいね” って言われると、メチャクチャ嬉しい」

---へェー、そうなんだ。

「うん。普通のロックファンに誉められるよりは、数倍嬉しい。で、そういう時に”日本”というものを考える。日本語の中で育まれてきたメロディーとか、リズムとか、そういうことをね。やっぱり、どうしてもそういう問題にいきついちゃうんだよ、音楽をやっていると。逆に言うと、そういうことを考えないで、音楽をやってる奴なんて気が知れないね」

---エンちゃんにとってPINKとは、いったいどういう存在なのかな?何だか、各メンバーによって捉え方がちょっと違うようにも思えるんだけど。

「僕なんかも、つき合いが長いから。PINKというものが分からなくなってきているのは事実だよね。ま、ちょっと距離を置いたところから眺めてみると、やっぱりPINKというのはすごく東京的な、雑多な音楽集団だと思うね。ただ、これからはPINKも、メンバーひとりひとりが自分のやりたいことをやる”場”というものを広げていかなければダメだと思う」

---『CYBER』には、そういう”場”というニュアンスもあるね。

「うん。みんなそれぞれ自分の作品を発表する場が欲しくなったんだよね。単純に言うと、『CYBER』は、各メンバーがそういうものを吐き出した作品と言えると思う。僕は『サイコ・・・』にすごく力を入れたから、今回はちょっとシンどかったところがあるんだけどね」

---でも、エンちゃんもソングライティングの面では、新しい試みをしているでしょ?「Decay The World, Delay The Wall」はいわゆる従来のPINKのイメージに近い曲だけど、「Christmas Illusion」には新しい側面が出ていると思うんだけど。

「それはあるね。ま、その程度の新しい試みは、今までもやってきたしね。「Decay・・・」のラインの世界は、2枚目以降に見つけたものなんだけど、これからもそういう新しいものを開拓していこうとは思ってる。さっきも言ったけど、やっぱりこれからは問題意識を持って、音楽をやっていかなければいけないと思うんだ。”問題意識”という言葉は大げさだけど、単に趣味嗜好じゃなくてさ。趣味嗜好的な音楽なんて、もう充分あり過ぎるもの。やっぱりオリジナリティーというか、その人の世界が見えないレコードを聴いてても意味ないもの」

---”オリジナリティーとはいったい何か?”というのは、すごく深い問題じゃない?

「うん。真の意味でのオリジナリティーなんて、この世には存在しないとも言えるからね。あらゆる芸術的創造物は、過去のものからの引用で成り立っているわけだから」

---それと編集ね。

「うん。でも、そういう議論って、すごく高いレベルでの話でしょ。僕が言いたいのはそういうことじゃないのね。日本って、外圧でしか変わらない国で、自分では何ひとつ新しいものを生んでないじゃない?ロックアーティストで言えば、YMOか矢野顕子さんぐらいでしょ?本当に日本的なオリジナリティーを持った音楽を作ったのは。あとは向こうでパンクが流行れば、日本でも疑似パンクをやる奴が出てくるといった状況ばかりでね。日本って、音楽だけじゃなく、アートにしても、洋服にしても、すべてのものがそうなんだけど、単に右から左へ流れていくだけで、何も残っていくものがないでしょう。つまり、歴史が積み重なっていかないんだよね。ホント、文化が育ちにくい国だと思う。日本のロックにしても、単なる世代交代が行われているだけで、何もタテにつながってないんだよね。みんな、アメリカやイギリスのロックのシュミレーションをやって、それを楽しんでいるだけでさ。聴く側の人達は、いったいどう思っているんだろうね?」

---疑似体験ならではの快感というものを感じているのかもしれない。

「うん。それって、まさにシュミレーションだよね。それに今の若いオーディエンスって、すごく効率的に物事を考えてるでしょ。だから、たとえばBOØWYが売れるのも良くわかるんだ。友達のひとりが”BOØWYってイイ”って言うと、”BOØWYが好きって人はナウイ”と思っちゃって、自分もファンになっちゃうんだよね」

---でも、それはPINKの場合にも言えることでしょ? PINKがイイって言うと、なんか通になった気分になるとか・・・・・。

「もちろん。それはそうだよ。誰にでもブランド志向というものは、あるわけだしさ。でも、そういう構造に気付いている人もいると思うんだけどね」

---それじゃ、そういう構造が見えているエンちゃんはどうすると?

「だから僕もそういう構造を上手く利用すれば、もっとファンを増やせるのかもしれないけど、イヤなんだよね。ロック然とした恰好で、ロック然とした音楽をやるのは。今までもそういうことはことごとく排除してきたし、これからもそうするつもり。でも、そういうことをやれば、世間は ”このバンドはひと皮むけた” とか言うんだよね(笑)。まっそれは確かにそうだけどさ」

---さっきのオリジナリティーという言葉に戻るけど、”演歌は日本人の心です” っていうのは真実なのかな?そういう情報がたくさんインプットされているから、みんなそう思っているようなところもあると思うんだけどね。

「いや、やっぱり演歌は日本人がずっと作り続けてきた音楽だから、日本人の心にピタ―ッとくるよ。だって歌ってて酔えるんだもの。僕は演歌なんか歌わないけどさ。そういう酔える曲って、今の日本のロックにはほとんどないじゃない?今の若い子も、イギリスやアメリカのシュミレーションを楽しんでいるけど、本当は演歌の方がピターッとくるんじゃない。だってさ、40~50歳になって、”Baby,おまえに~♪”なんていう歌を歌っていると思う?そんなわけないよ。
僕が民族音楽を好きな理由のひとつは、ロックを相対化して見ることができるからなの。日本人である自分にとってロックとは何だろうって思う。僕もロックというか、西洋の音楽をずっと聞いて育ってきたわけだけど、そういう自分はいったい何なのだろうって考えちゃうんだよ。いざ自分が音楽をやる立場になると」

---そこで ”真の意味での日本のロックとは何か” という問題にぶち当たる、と。

「うん。なんとかして日本的なオリジナリティーを持った音楽を作ろうと思ってる。たとえば歌入れの時、最初はスキャットでデタラメに歌うんだけど、すごく情感豊かな世界が生まれるんだよね。でも、日本語の歌詞がついたとたんに、その世界がこわれちゃうの。どうしてかなーって、思うんだよ。やっぱりそれは日本語の中で育まれてきたメロディーとか、リズムのことを真剣に考えていかなければ、解決しないと思うんだ。日本でロックをやっている以上、そういう問題を避けて通ることはできないはずなんだよね。でも最近は、みんな”日本語のものはダサイ” と言って、簡単に片付けちゃうでしょ」

---それは見たくないからなんだよね。無きものにしておきたいんだよ。

「そう。結局、みんな効率的に考えているんだよね。今の若い子達は生まれてからずっとむこうのロックを聞いてきたわけだから、それが自分達の音楽だと思い込みたいんだろうけど、実際にそんなことありえるわけがないじゃない。普段も英語で会話しているっていうなら話は別だけど、日本語を使って生活しているわけでしょう。日本語のリズムと洋楽のリズムは違うんだから、むこうのロックがピターッとくるわけないんだよ。でも、みんなそれを認めたくないから、”日本的なものはダサイ”って言っちゃうんだよね」

---日本のロックって、そういう日本的なカッコ悪いものをどんどん捨ててきたよね。もしかすると、昔のロックの方がオリジナリティーがあったんじゃないかって思う。

「僕もそう思う。僕が常に意識している日本のロックアーティストは、じゃがたらなんだよね。じゃがたらの音楽って、すごく日本的でしょ?なんか、”ええじゃないか運動”みたいでさ。アケミも世が世だったら、すごいスターになってたと思う。アケミにはすごく共感するところがある。がんばって欲しいと思うよ」

---今の日本って日本的なものが見えにくい状況にあると思うんだ。単純に言うと、10代の子の体型なんてすごく西洋人に近づいてきてるじゃない?だから自分達も西洋人と同じなんだって、錯覚しちゃうんだよね。

「うん。それと今の日本は経済力が強いからね。でも、今後、そういうものはイヤでも見ざるをえなくなってくると思う。今の日本って、ある意味では鎖国状態にあるけど、これからはもっと外と交流しなければいけなくなるじゃない。そうすると、日本と外国の違いに直面せざるをえなくなってくるわけだから。日本のロック・ミュージシャンもそういうことをイヤでも意識せざるをえなくなる時がくると思う。ようするに、今の日本のロック・ミュージシャンって、長崎の出島なんだよ。向こうのロックを日本人に受けるようにいったんアレンジして、それを日本にバラまいているだけ。みんなそうだよ。もしかしたら、PINKもね。でも、これからは、もうそういうことは通用しないと思う。だって日本のロック・ミュージシャンも海外に進出しようと思ってるんでしょ?だとしたら当然、向こうの奴らはこう質問してくるよね。
”オマエ達のオリジナリティーは何だ?” てね」

(インタビュー:渡辺 亨)

「Player」1987年12月号掲載

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