新作『CYBER』を期に、大幅な展開を見せそうな超強力音楽集団、PINK。リーダー福岡ユタカにその胸中をきいてみた。
(インタビュー:渡辺 亨)

(撮影当日ホッピー神山急病の為、不参加)

PINKの新作『CYBER』がついに完成した。当初の予定通り、この新作はCD1枚組(ADは1.5枚組)で、全14曲を収録。過去3作は福岡ユタカの曲を中心に構成されていたが、今回はホッピー神山や岡野ハジメなど他のメンバーも単独、あるいは共作という形で曲を提供している。
冷静にレビューするならば、『CYBER』はPINKの作品の中で唯一 ”ほころび” が目に付くアルバムだ。ひとつの作品としてまとまりに多少欠けるきらいがあるし、アイデアが未消化のままに終わっているトラックもある。しかし、PINKというバンドの懐の深さ、ひいては可能性というものを十二分に感じさせてくれる作品であることは確かだ。実際、この新作でのPINKは様々な ”顏” を見せてくれている。岡野ハジメの作品は毒々しい美しさを、ホッピー神山の作品は洒脱なポップ感覚を、それぞれPINKに持ち込み、このバンドの魅力をさらに押し広げている。そして福岡ユタカ。彼の作品もさらに充実の度合を増している。中でも僕の大好きな日野啓三の小説世界にも通じる静謐なムードをたたえた「熱砂の果て」は、彼の代表作になるだろう。この曲を始めて聴いた時は鳥肌が立ってしまった。
いずれにせよ、『CYBER』はPINKが転換期を迎えていることを示す作品だ。この作品がPINKの歴史の中でどういう意味を持つのか―――それは今後の彼らの活動を見なければ、わからない。次のスタジオ録音盤を手にする時、それがいつになるか僕には良くわからないが、その時、『CYBER』の持つ意味がくっきり浮き彫りにされるような気がする。

---先日、ホッピーにインタビューした時、彼は ”『サイコ・デリシャス』の時点でPINKのサウンドはある程度完成されたから、今回はそれをぶち壊そうと思った” って言ってたんだけど、エンちゃんとしてはどうなのかな?

「僕にとっては、『サイコ・デリシャス』は、あくまでも一つの過程であって、決して完成品じゃない。まだまだ未完成な部分があると思う。ただ、ホッピーとしては、ひとつの世界にどっぷり浸りきっちゃうことがコワかったんじゃないかな?それよりは、ここでもう一度、解体させた方がイイと思ったんだろうね」

---ホッピーや岡野クンの曲は、これまでのPINKのイメージとは違ったものだよね。

「それは当然じゃないのかな。これまでのPINKの曲というのは、ほとんど僕の曲だったわけだから。今までのPINKになかったものをやるっていうのは、重要なことだよね。
ただ、僕としては『サイコ・・・』はいい出来だと思ってる。完成品じゃないけどね。前にも話したことがあると思うけど、僕の音楽的テーマは”オリジナリティー”ということなのね。言葉で説明するのは難しいけど、”東洋”というものを感じさせるもの、具体例でいうと、「シャドウ・パラダイス」を発展させたようなもの、そういうものを追求していこうと思ってる。日本語とメロディーの関係とか、日本的な心象とか、そういうものを追求していきたい。これまで僕は自分の心象風景を描写するには、どういう音楽がいちばんふさわしいかということをずっと考えてきた。ただ、それは僕の個人的なテーマなんだよね。でも、これまではそういう僕の世界を”PINK”という名前で表現してきたわけだから、他のメンバーからすると、”ちょっと違うんじゃない”っていうところもあったんじゃないかな。とはいっても、共通項もたくさんあるんだよね。ようするにバンドというのは、ひとつの共同体だから、その中でそれぞれ何かの役割を演じなければいけないわけ。で、たまたま僕は叙情的なものを請負っていて、岡野クンはグラマラスなものを請負っている。でも、そういう要素はメンバー全員の中にあるんだよね。そう考えると、実に単純な構造だよね」

---それじゃエンちゃんとしては『サイコ・・・』までのPINKの路線はこれからも追求していくつもりなんだ。

「うん。ひとりの人間にとってテーマというのは、ひとつしかないはずだと思う。思想なんてそう簡単に変わるもんじゃないしね。ただ、今後、そういう僕の個人的な世界はPINKじゃなくて、ソロという形で発展していくかもしれないけど」

---エンちゃんって、”完成度”というものを追求するタイプじゃない?

「う~ん、そうでもないと思うけど・・・・・。何て言うか、向こうの音楽にはない”緻密さ”っていうものを追求しているところはあるね。日本的な”間”とかさ。
やっぱりこれまで日本のロックというものをずっと聴いてきて、世界に通用するオリジナリティーを持っていたのはYMOぐらいだったと思うんだよね。あれ以降、日本のロックの質はどんどん低下してきていると思う。だからこの辺でもうちょっとマジに、”自分が本当にやりたいことは何か?”ということを考えなきゃいけないと思ってる。PINKというのはひとつのバンドだけど、最終的にはそれぞれのメンバーがどういう世界を作っていくかということにいきつくと思うんだよね。当然、僕は僕なりの世界を作っていこうと思ってるし、ホッピーも、岡野クンもそう思ってるでしょ。あとカメさんもね。PINKって僕とホッピー、岡野クンの3人がクローズアップされがちだけど、カメさんの感覚って本当に面白いんだよね。どうして、みんなそれに気づかないのかなって思う。ま、やっぱり普段一緒に生活している人でないと、わからないのかもしれないけど・・・・・」

---そういう意味では、『CYBER』は各メンバーの個性が打ち出されている作品だよね。何ていうか、”バンド内ソロ-アルバム”といった趣がある。

「完全にそうだよ。実際、僕がタッチしていない曲もあるし。どうせなら、それぞれソロでやった方が本当は良かったのかもしれないけど」

---逆に言うと、今回はひとつの作品としての完成度というものを捨てたところがあるでしょ?

「確かに今までの作品はコンセプトとか、方向性をちゃんと決めて作ってたけど、今回はちがう。トータル性というものは全然考えなかった」

---エンちゃんの作品の中では、僕は「熱砂の果て」がいちばん印象に残った。なんか核戦争が起こった後の世界のイメージというか・・・・・。

「この曲は、すごくイヤなことがあった時に作ったんだ。だから歌もちょっとロレってる。なんか死ぬ直前の吐息みたいに(笑)」

---ある種の終末感が漂っているでしょ。すごく静寂で平穏で・・・・・。

「うん。ある種の”終わり”というイメージはあるね」

---でも、暗くはないよね。

「そう、終末って、フラットな状態じゃないのかなって思うんだよね。僕自身、どう説明すればイイか良くわからないんだけど・・・・・。
うん、”核”だよね。昔と今の世界を比較して、何がいちばん違うかっていうと、やっぱり核だと覆う。こういうボタンひとつですべてが消えちゃう状況って、人類史上初めてじゃない?筒井康隆の『アフリカの爆弾』じゃないけどさ、第3世界の国々が核を普通の爆弾と同じ感覚で使ったりしたら、ホントにヤバイよね。あとテクノロジーもないのに、やむにやまれぬ経済事情とかさ・・・・・、ヤバイよね。チェルノブイリの原発事故みたいなことがどんどん起っちゃうわけだから」

---ひとりのミュージシャンとして、そういう核の問題とはどう関わっていこうと思ってる?

「”核”のことをコンセプトに曲を作ろうとは思わないけどね。でも、そういう現在の社会状況というものにはすごく関心を持っているから、それが頭の片隅に入っていて、ある時ポンと曲の中に出てくることはあるかもしれない。「熱砂の果て」にしても、あれは別に核のことを考えて作った曲じゃないしね。ただ、僕の中にある種の終末的な気分があったから、ああいうふうな曲になったんだと思う」

---その辺は、実に福岡ユタカらしいね。エンちゃんって、音楽をすごくピュアなものとして捉えているでしょ?ある種”聖域”みたいなものとしてね。

「それはあるね。だからもし僕が小説家だったら、世間の流行と離れたところで、コツコツと私小説を書いているかもしれない。本当はそれじゃツマらないんだけどね」


作詞:宇辺セージ/曲:福岡ユタカ
(youtubeリンク先に宇辺氏のコメント書き込みあり)

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