ア~アア~
ジャングルの奥深くからきこえてくるターザンの雄叫び。
ただの叫び声にきこえるけれど、確かにこれは言語だ。
ここで紹介するピンクというバンドの歌は、そんなふうにきこえる。密林のアレンジ、と、何かを訴える野生の声と。
コレクティブ・インプロビゼーション。”集団即興演奏”。
ひとりひとりが思い思いに音を出しながら、でも、そこから生まれる何か。これはジャズの用語だけれど、ピンクの、特にライブでの印象はこれにとても近い。
密林と集団。野性と即興。
・・・・・なかなか似ている。
仲間と音を合わせる、とか、仲間の音に溶け込む、とかいった意識は、いったいピンクにどれくらいあるんだろう。
「ここになんかいたくねえ」「オレは溶け込みたくなんかねえ」と例えば語っているようなピンクのライブ。その、何か、外へ出よう出ようとするエネルギーが、特有の”音の塊”を作り出す。
それぞれのエネルギーは同量で、それが四方(5人だから五方かな)に出ようとするから、真ん中に、パンパンに張りつめた緊張の空間ができる。どこに行こうとするのかな。それともどこにも動けない?だから、もっと引っ張り合う?
そして、そこがピンクらしさ。バンドのカッコよさってそれかもしれない・・・・・。そんなことを思わせてしまうグループ。
デビューは84年。ダリの絵を思わせるシュールなタイトルのシングル「砂の雫」で。
こういったイメージの遊びの精神は、ピンクにずっと流れつづけていて、最新で3作目にあたるアルバム名も『PSYCHO-DELICIOUS』
”おいしい心理”と訳しておけばいいのか、”魂が爽快”だとったらいいのか、”サイコーにうまい”アルバムだ、とでもいうのか、いずれにしてもサイケデリックにひっかけてはいるはずだ・・・・・とかとか思わせて、とにかく心理あそびの好きなグループのよう。
エスニック(人種の、民族の)という言葉が流布するようになってから、彼らも”エスニックな”音楽と評されてきた。
けれど、もっと適切な言葉がある。
”VERNACULAR”(自国の、自国語の、本国の、土地の)。その人が持ってる本来のうごき、本来のもの、といっていいと思う。
この”本来の”というのが肝心で、誰にでもたやすく”本来”を出せるわけじゃないから、エスニックにははまっても、バーナキュラーにはまる人たちは、そうそういない。
ピンクの雄叫びは、まさしくバーナキュラーな言葉できこえてくる。
ボーカリストもギタリストも、キーボーディストもドラマーもベーシストも、「自分語」で歌い、「自分語」で指が動く。そんなグループ。
そうしてライブで客席に向かって飛んでくる、その”音の塊”は、ギターがどーした、ベースがうんぬん、といったレベルではなくて、一つの個体になって体を押しつけてくる。
誰もがこれを快感だと思うのかどうか知らないけれど、会場の女の子たちの何パーセントかは、この、音の個体とSEXしにくるのだと思う。
それはボーカリストとでもなく、ギタリストとでもなくて、”ピンク”と。
音は透明だけれど、確かに個として在るんだってことがわかる。
ピンクに体を預ける快楽の時間、野生のピンクと抱き合う快感、男の子にはわからないよ(ふつうはね)。
ピンクにキッス。
(N)

月刊エレクトーン別冊「ROY」1987年4月号掲載

その(2)>>