「大阪も雨に沈んでいるだろう」というから東京は久しぶりに連日、雨降りだった。
午後3時に大阪に着き、アコースティックだけのコンサートを観た。そのコンサートのクロージングは「男らしいってわかるかい」(ボブ・ディランの「I shall be released」の日本語版)だった。ボクはそのイントゥルダクションだけを聴き、あい変わらずだ、と思いながら厚生年金中ホールに向かった。どしゃ降りの雨の中で、傘を持っているにもかかわらず、運動靴もリュックサックも部屋を出た時に比べかなり重くなっていた。それでも鉛色の空は頭のすぐ上にまできている。

大阪でPINKを観るのは初めてのこと。そして、かれらがホールで演奏するのも初めて観る。(それまではライヴ・ハウスばかりだった)。大阪、という土地で彼らが受け入れられるか否か、多少の不安はあったが、そんなこと今の日本じゃ同じこと。PINKのファン=若い男のコ、女のコにとっては大阪も東京も、天王寺も下北沢もない。だって、ほんの数時間前までボクは東京で眠っていたんだもの。
客席は満杯で2階の後部座席にパラパラと空席がある程度。それも総立ちのため2階前列に押し寄せたという感がある。ボクが到着した時は、コンサート前半の終わりぐらいの「Solar Eclipse」の時だった(後で聞いたのだがこれはオープニングから6曲目)。会場がダンス天国なのも無理がない。

初めて彼らを観た時に比べ、スゴい人気だ。もともと大きなバンドだったから、逆に、今以上の動員があってもあたりまえなのだか・・・・・。サウンドの方もかなりわかりやすくなっている。音と音のスキ間が見えるようになってきた。ボクが観ていた頃はもっと混沌としていて、ステージ進行ももっと下手だった頃。ドロドロとした印象を受けたことを覚えている。パニック状態だった(サウンドが)。大きな波にのみ込まれそうだったが、この日はそうではなかった。洗練された、という言い方が当たっているのかどうか、今のボクにはわからない。後半の「砂の雫」あたりぐらいからは混沌とした迫力があったからだ。スティーブ衛藤のパーカッションが洗練されいるようで、実はそうでない、とてもファンキーなプレイだ。今後のPINKの方向性は、彼の演奏(スピリット)につきるのではないかな?

(北村和哉)

「MUSIC STEADY」1986年7月号掲載