東京ブラボーは、リーダーのカンちゃんこと高木一裕(vo)を中心に、元フィルムスの小松としひろ(g)、元SIKENの坂本みつわ(kb)の3人で’81年に結成され、リズムマシーンを加えて、ライヴよりもデモ・テープ作りをメインに活動していた。’82年に入り、活動の主体がライヴに移っていくことにより、泉水敏郎(ds)、岡野はじめ(b)を加えた。現在はこの5人で活動を行っている。
メンバーが5人になってからは、ジャムの前座、モッズの野音、イミテーションの渋谷公会堂でのコンサートのサポート等、大ホールでのコンサート活動や、カセット・マガジン「TRA」でデモ・テープを発表するなど、独自でユニークな活動を続けている。

別に東京で活動してるから、「東京ブラボー」って名付けたわけじゃないんです。某洋品店の看板にあったやつを、そっくりそのままいただいちゃっただけ。ブラボーって響きもいいし、悪党、っていう意味があったりして、すごい新鮮でした。

目指すサウンド、っていうのは、田舎のディスコ・バンドがやってる歌謡曲みたいなものですね。軽くて、笑えて、少し哀愁があって。何か節操ないけど、僕らの音楽的ルーツは色んな所にあるんです。レビロスやグリッターから、スレイド、日本のGSですね。ただ単純にカッコイイからやってる、ってだけ。ライヴなんかは、メンバーがそれぞれカッコイイ、と思ってるものを、それぞれ違う形で出していって、それを一つのバンドの音で統一する、って感じのものを作りたいですね。

東京ブラボーって、メロンとか、サニィ久保田とクリスタル・ヴァカンスなんかと共通性がある、ってよくいわれるけど、皆、ニュー・ウェイヴその後、って所で似てくるんじゃないでしょうか。ニユー・ウェイヴを完璧に吸収しちゃって、その臭さとか、おしつけがましさにイヤになっちゃって卒業して、それで結局、ポップなサウンドに落着いちゃってる、っ所が。今でも、ライヴ観に来てくれる人の中で東京ロッカーズのイメージを持ってる人って多いけど、今さら過去のものを持ち出す気は全くないし、皆、自然に変わってきてるんだからそれはそれでいい事なんじゃないかと思ってます。

回りの状況も変わってきたし、ピテカンみたいな場所も増えてきたしね。ファッションだって今はニュー・ウェイヴからガラッと変わって安定してきたしね。

レコードは今年中に出してみたいという気持ちがあります。自主制作というのもゴジラ・レコードがあった頃は面白いんじゃないかと思ったんだけど、最近の自主制作のルートって全然興味ないから別にやりたくないですね。ただレコード会社の人間って分かんない人が多いみたいだから。なんて言っちゃって(笑)。なんにも考えてないんだもん。レコード会社の人間か誰かが言ってたんだけれども、ブラボーをマリ・ウィルソンみたいにしてやれば、”売れ線”でいいんじゃないか。だからそのレコード会社の”売れ線”という言葉が鼻につくんですよね。岡野くんが言ってたんだけど、自分がやりたい音でやってるのに、それを売れ線という風に考えることないんじゃないか、これがやりたいからやってんだ。なんで分かんないんだ。なんで売れないんだみたいな気持ちでやんなきゃアーチストはダメだ。ジョン・ライドンなんかも行ってたんだけど、そう感じてますね。

バンドやってるからには一旗あげたいですね。(笑)ライヴももっと多くしたいし。できればピテカンみたいな場所でね。ノー・チャージに近い形で、どんな人でも入ってっこれるような。コンサートは、ファッション・ショーとか、いろんなアトラクションをおりまぜたりして、トータルな意味で、東京ブラボーらしいものを作ってみたいと思います。

とにかく別にメジャーとかマイナーは意識してないです。僕らのサウンド・コンセプトをわかってくれて、広範囲で力になってくれる人だったら、メジャーでもマイナーでもかまわないですね。レコード会社とか、事務所とか、しっかりした下地があって、その上で楽しくグチャグチャに活動する、って感じが理想ですね。内容としては、ロキシー・ミュージックがデビューした時のようなインパクティックなものが作れたら最高だと思ってます。

 

「MUSIC STEADY」1983年8月号掲載

 


「エレキでスイム」

 

「MUSIC STEADY」1983年5月号掲載

 

※PINKファンの方より貴重な記事データをご提供いただきました。