あ、どうも。11回目のリレー対談です。今回はサロン・ミュージックの指名でピンクとの対談。ピンク側からは岡野ハジメ氏と福岡ユタカ氏の二人が出席予定でしたが、福岡氏が少し遅れるとの連絡が入り、とりあえずは、ということで岡野氏との対談で始まりました。では・・・・・。
---知り合ったきっかけというのは?
岡野 吉田君と大学が同じだったんです。一緒のバンドにいたこともあって(笑)。
吉田 (笑)、そうですね、いろいろとありまして。
岡野 知らざる過去がいっぱいあるんです。吉田君もまだ長髪だったし、僕も長髪だったし。お互いの遍歴をね、全部知ってるんですよ。
吉田 音楽指向、ファッションその他。
岡野 相当変わったから。
吉田 僕と彼女が知り合ってやり始めた時には一緒にやってたし。
岡野 だから仁見ちゃんとも長いよね。
竹中 4年位かな。
グラム人は常にいたんだよね。
---で、今日はグラム・ロックの話をしてもらおうと思って来たんですが。
岡野 今の若い子って、グラムっていうのを実際に体験してるというのはないと思うから、今グラムが出てきたっていうのは、僕は影響を受けたというのとはちょっと違うと思う。僕はやっぱロックに対する欲求不満が爆発してるんだと思う。僕とか吉田君の年代だったら中学、高校の時にちょうどそういうのがあったから。
吉田 だから、多分日本とイギリスってちょっと違うと思う。イギリスの場合はいちばん最初に聴いて熱狂したのが多分グラム・ロックでね。
竹中 熱狂したかどうかもわかんないよ。今の21~22歳って。
吉田 いや、コンサートに集まったのは小学生だから、グラム・ロックは。ファッションまでマネしてたかどうかはわからないけど。
竹中 小学生の高学年頃に入ってきた音楽っていうのは残っちゃうよね。
吉田 僕たちとは違うだろうけど。
岡野 でもね、グラムっていうのものはずっとあったんだよね。だから、パンクはグラムだと思うのね、僕は。セックス・ピストルズはグラム・バンドのひとつだと思う。最近で言えばカルチャー・クラブとか・・・・・。
吉田 手法が同じなんだよね、音楽性が違っても。
岡野 手法っていうよりも感覚っていうか、思想的なものが”グラム人(びと)”っていう人は常にいたんだけど、それの出方がパンクの時はキツかったし―――社会に反抗するものを露骨に出したり、ファッションが汚ならしかったりとかがあったから、けっこうシリアスだったんだよね、最近のグラム人のやり口って。バウバウスとかフレッシュ・フォー・ルルとかもグラムだと思うけどポップじゃなかったんだよね。で、まあカルチャー・クラブのやってるのはポップだったわけで、その中間を行くものというのがなくて、それで最近”やっぱりね“みたいなので巡ってきてるんじゃないかと思うんですけどね。
吉田 そうだね。
岡野 だから今さらグラムっていうことはないんだよ。それはたまたま今Tレックスの曲をフランキーとかパワー・ステーションがやって・・・・・。僕はあれはレトロだと思うんだよね。パワー・ステーションがやってる「ゲット・イット・オン」なんてさ・・・・・。
吉田 嫌いなんでしょ(笑)。
岡野 大っ嫌い。わかるよ、あれがヒットするの。でも、思想的には懐古だと思うよ。でもフランキーがやるっていうのは解る気がする。
吉田 あれは解るね。
岡野 あれはグラム・バンドだよ。
竹中 パワー・ステーションは、ライヴ用のシルバーヘッドのヴォーカルの人になっても良くないね。
岡野 全然(笑)。ただのアメリカン・ロックだよ。
竹中 シルバーヘッドじゃないよね、あの人。
岡野 ガッカリしちゃったよ。
あの時代はもうかったんだろうね。
というところで福岡氏が矢壁アツノブ氏と共に入場してまいりまして、しばし雑談。
岡野 Tレックスがヒット出してる頃っていうのは聴いてると恥ずかしいっていうのがあったからね。あんなのはガキのバンドだし、とか。
福岡 グラム・ロック自体がそういうのあったね。お化粧バンドで。
岡野 そうオカマじゃないかとか。
―――演奏もろくにできないのに、というのも必ず言われたし。
岡野 ヘタクソで最低だ、みたいな。
竹中 あのミッキー・フィンは何だ(笑)。
矢壁 あの人ヘンだったね。何してるの?
岡野 浮浪者になってるっていう話だよ。なんかあの辺の人達ってみんな悲惨な人生歩んでるよね。
竹中 人がいいんだよ、基本的に。お金あってもすぐ他人にあげちゃうし。
福岡 お金は一時期すっごいもうかっただろうね。
岡野 マーク・ボランなんかの服を作ってた人が、東京のディスコでドアボーイをやってるのを発見したんだって。で、お金はものすごくもうかったんだって、当時。でもドラッグなんかに全部使っちゃって(笑)。一文なしでドアボーイだって(笑)。
福岡 やっぱりあのあたりがいちばん黄金期だよね。山内テツがフェイセスに入ったっていったら、急に運転手付きのロールスロイスで迎えに来たんでしょ。それでいい家に住むようになって。今ないよね、そういうこと。
岡野 ないない(笑)。
福岡 やっぱりいい時代だよね。もうかっただろうなぁ。キース・ムーンがロールス・ロイスを自宅のプールに沈めたりとかね。
矢壁 ホテルにつっ込んでホテルごと買いとったりとかね。
竹中 今の人はそういうの手に入れてもそんなバカな使い方はしないしね。
岡野 今のミュージシャン堅実だもん(笑)。マンション買ってクルマ買ってなんて・・・・・。
福岡 日本のミュージシャンは特に・・・・・。
岡野 守りの姿勢にね。
福岡 向こうもそうなのかな?
吉田 そうみたいね。
福岡 そういう意味じゃ祭りのあとみたいな雰囲気あるのかもしれないね。
岡野 結局70年代後半から80年代初頭の音楽シーンていうのは、そういうものが主流を占めてたわけじゃない。例えばフュージョンとかさ。音楽を趣味としてBGM的に聴くみたいなプチブル的なものが。だから、もういいかげんうんざりしてきてさ ”つまんない、つまんない・・・・・”になった。
吉田 そういう時期けっこう長かったよね。
岡野 すっげえ長いよ。それで、ニューウェイヴ、パンクがあって、これは・・・・・と思ったら結局何も起こらなかった。
福岡 あれが最後の華だったっていうのがあるかもしれないね。みんな割に昔に戻って、出してくる音がノスタルジックになってきて。確かにそれじゃいかんなと思いながら、やっぱりそういうのをいいと思う。それは、僕たちみたいに聴いてきた人がそう思っているのか、それとも新しい人がそういうのをいいと思っているのか、わかんないからね。そういう意味では今、小規模なロック・ルネッサンスが起こってるんじゃないかな。
解ったことを全部ふまえて、それを飛び越えないといけない。
福岡 ほんとはね、10代の多感な頃に音楽聴いていて感じたあの感触が、一生続いていけばね、長生きはしないかもしれないけど(笑)。で、10代の頃に聴いてたので一生決まっちゃうしね。
福岡 (立花)ハジメちゃんも”僕はエレキの若大将で決まっちゃった”っていうし。
吉田 それはしょうがないことだよね。
福岡 変わんないよ、それで。で音と思想ってことでさ、思想はやっぱりフィルターかかって入ってくるでしょ、日本だから。英語もそこまで解って聴かないし。話は飛ぶけど山下達郎さんも、思想的にはラジカルなんだけど、好きになった音楽はああいうものになっちゃったっていう。そりゃやっぱり悩むしさ、知ってけば知ってくほど矛盾を起こしちゃうし。そこはもうしゃあないんだよね。
岡野 僕はそういうの全然かまわないと思うんだよね。音楽はやはり肉体的なもんでしょ。気持ちいいことを一回覚えちゃったことは尾を引くし、それがロックだと思うからね。話は戻るけど、70年代末から80年代初頭のけっこう長かった時期に出てきた音楽っていうのは、やってる本人がエクスタシーを感じてやってるものっていうのは少なかったんだよね。その前のロック・ミュージシャンは、とりあえず気持ちいいことは気持ちいいからやめられませんっていうのがあったじゃない。だからそういうものを全部ふまえたうえで何か出てくるべきだし、出てくるだろうと思うんだよね、これから。
---さすがにそういった70年代末から80年代頭にかけての、職業的な音楽にはやる方もたまらなくなってきてるというのもあるんでしょうしね。
岡野 だからもう食えなきゃ終わるっていうのも解ったのね。それで、そういうことをやっててもつまんないっていうことも解ったのね。もう解ってることはいっぱい出てきてんの。それを飛び越えるものっていうのはアーティスト・パワーとか体力(笑)とか、そういうのを兼ね備えたミュータントのような人でしょうしね。
福岡 もう解っちゃってることって多いから、ウッドストックとか全共闘なんていう、志がめちゃくちゃ高いみたいなのは出てこないかもしれないけど、もうちょっと一人一人の細部の問題を、そういったデッカイことにひけをとらないんだっていう捉え方でやっていくしかないって感じることがあるよね。
この後、表現と差別の問題、日本の状況の問題といったお話しになるのですが、ページの都合で割愛させていただきまして、最後に双方の今後の予定につきましてを。
福岡 2枚目のレコードを年内に録音して、来年の3月位には出す予定。
岡野 もう10月にはレコーディングに入るから。
吉田 早いね。
岡野 あとは学園祭が2本あって年末に東京でちょっとしたコンサートを。
吉田 サロンの方はテープを使った簡単なライヴをやって、それとサロン・ミュージック以外もそろそろ・・・・・。
竹中 曲書きますよ、とか言って(笑)。あと、方法って自分のなかで解ったじゃない。だからサロン以外で、自分が楽しいことどんどん身につけられる体勢に入るから。
吉田 個人活動が多くなると思うな。
竹中 あと、サロンとしては外へ出たいですね。
---どうもありがとうございました。
岡野 いえいえ。
竹中 ピンクサロン対談でした(笑)。
(MUSIC STEADY 1985年10月号)
「MUSIC STEADY」1985年10月号掲載
※PINKファンの方より貴重な記事データをご提供いただきました。