「赤」と「青」が混ざると「PINK」になる。ちょっと待て、ピンクは赤と白じゃないのか?イヤ、これで良い。ナゼならPINKのアルバム「RED&BLUE」はまぎれもなく、今の「PINK」を表わしているのだから。
昨年11月8日の大阪でのライブをもってステージ活動を終え、5thアルバムである今作以降バンドはコールド・スリープに入り、メンバーそれぞれのプロジェクトに移って行く。
約5年間のこれまでの足跡をたどり、日本において稀にみる音楽スタイルとバンド・スタイルを持った「PINK」を検証してみよう。(柴田俊宏)

PINKというバンドは、とにかく言葉では表現しづらいバンドだ。その音楽性の前ではジャンルなどないに等しく、バンドの成り立ちも、メンバーそれぞれが完成された音楽性を持ち、よくあるように、ひとつの音楽スタイルに向かって皆で突進する、というタイプのものではなかった。だからこそ私達はその音と音にせめぎ合いを感じ、そこから生まれる高揚感に自然、体を動かし、アドレナリンが分泌して行くのを感じるのだった。今回はPINKを見守り続けて来たプロデューサーの佐々馨氏の言葉を挟みながら進めてみたい。
※「 」内は全て氏の言葉である。

BIRTH●●●●●

PINKそもそもの始まりは’83年頃の”おピンク兄弟”なるセッション・グループからである。沖山優司や鈴木賢司らに”人種熱”そして近田春夫率いる”ビブラトーンズ”に参加していた福岡ユタカ(現パール兄弟の窪田晴男もこの両バンドに在籍していた)、同じくビブラトーンズに参加していたホッピー神山などがこのグループのメンバーであった。一時期10人以上ものメンバーの居たこのグループも次第に形を整え、6月の新宿ツバキハウスでのライブを切っ掛けに、ひとつの固定されたバンドとして活動して行くこととなった。

’84年エピック・ソニーより2枚のシングル(2枚目の「プライベート・ストーリー 」は映画「チ・ン・ピ・ラ」の主題歌であった。)をリリースし、翌’85年レコード会社をムーンに移した後、待望の1stアルバム『PINK』をリリースした。PINKのリリース活動を見て行く上でひとつのヒントとして、レコード帯に記されている、キャッチ・コピーについて随時触れてみたい。

まずはこの1stに記されていたのは「無国籍主義者の浪漫主義」というものだった。音を聴けば分かる通り、ファンクであり、エスノであり、サイケであり、プログレであり・・・・・要するにすべての音楽を吸収し、すべてのジャンルを越え、無にしてしまっているのだ。その何とも表現のしようのない音は、極東にありながらアジアではなく、ニューヨーク、ロンドンと並び経済、文化の中心でありながら、やはり趣は異なり、日本でありながら日本ではない都市”TOKYO”を象徴している。PINKは東京という都市が生んだバンドと言えるかも知れない。それは「YOUNG GENIUS」に最も顕著に表れている。その歌詞はどこの国の言葉でもなくPINKによる造語であるが、その言葉でない言葉に多くの意味が、それは音、コミュニケーション、意味について・・・・・等々内包されるだろう。(言い忘れたが、このアルバムの頭2曲で布袋寅泰がギターを弾いていたりする。)

’86年2ndアルバム『光の子』リリース。幾分ポップさを増したこのアルバムのコピーは「未来と原始が出会う」というものだ。

「世界というのは水平に見た時の横の広がり、それと時間という縦軸と横軸の関係だと思ったんです。で音楽のマジックていうのはそういったものを溶かしてしまうものがあると。今度は時間という縦軸を凝縮する、永遠を一瞬に溶かし込める音楽というのをアピールしようとしたんです。もうひとつPINKというのが日本で恐らく最も肉体的なバンドでありながら、テクノロジーやトレンドの最先端を行ってるという面白さかな。1st、2ndでPINKの音楽性をアピールしたかったと。」(佐々 馨)

1stで世界をひとまたぎし、2ndで歴史を一望してしまったということか・・・・・。PINKというバンドの持つコンセプトは私などの考えも及ばないところにあるようだ。
このアルバムでPINKは新しい血を得た。それは12インチでもリリースされた「LUCCIA」を作詞した吉田美奈子である。この曲の美しさは筆紙に尽しがたい。

同年10月にはロンドンBUSBY’Sにて以後シリーズ化する”PSYCHO-DELICIOUS ACT”がスタートする。このライブはイギリスRIMEレコードからのリリースに伴うプロモーション・ライブというものであった。そのRIMEレコードより『SOUL FLIGHT』が12インチと7インチでリリースされたが結果としては残念ながら失敗に終わった。

ギターの渋谷ヒデヒロが病気療養のため脱退し、ハード・ロック・バンド”マリノ”の大谷レイブンがサポートとして参加することとなり、翌’87年マクセル・ビデオカセットのCMソングとなった「KEEP YOUR VIEW」を含む3rdアルバム『PSYCHO-DELICIOUS』のリリースとなる。
PINKのリリースしたアルバムで最も売れたこのアルバムはオリコンのベスト10に食い込むほどだったが、そのコピーは「サイコーにデリシャス」というダジャレだった。

「いつも思ってることが”UP TO DATE”なサイケデリック・ミュージックということなんです。僕はPINKをずっとシュールレアリスティックなバンドだなと思ってて、本当にマジックというものを持ってて、そういう意味では僕にとっては正に、今の、リアルタイムのサイケデリック・ミュージックなんですよ。だけど今、サイケデリックという言葉が汚れてるんで、サイコ・デリシャスとしたんです。」(佐々 馨)

このアルバムにおいてPINKはひとつの完成形を見る。それはフロント・マンである福岡ユタカをキー・マンとしてのPINK。すなわちメロディアスな面とヴォーカル(そこには詞の世界も含まれる)をより強調した傾向にあるものだ。確かにある程度の商業的成功は得たが、バンドとしては多少、問題作であったとも考えられるだろう。何度かのTV出演、コマーシャル・ソングのヒットを得、PINKはお茶の間に浸透していった。

その②へ続く>>

「DOLL」掲載記事①(岡野ハジメインタビュー)>>
「DOLL」掲載記事②(ホッピー神山インタビュー)>>
『RED&BLUE』にLP盤があったとは・・・・>>
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