PITは、UFOの中にできたライブハウスのようだ。そこでおこなわれたホッピー神山率いるFlower Hipは、その多彩なゲストの顔ぶれだけ見ても、興味津々たるものがあった。

Keyはもちろんホッピー、ギターにルースターズから下山淳、ドラムスに元ルースターズ、現在は山下久美子バンドを始めさまざまなセッションでパワフルなドラミングを聴かせてくれる池畑(潤二)、ベースにサンディー&サンセッツから恩蔵(隆)、パーカッションにはPINKでおなじみのスティーブ衛藤、この基本的なラインナップに加え、ボーカルにDER ZIBETのイッセイ、ちわきまゆみ、小林克也、泉谷しげる、44マグナムのポール等々、ホッピーの広範囲な活動を示すようだ。

広い意味での”ロックを感じた

さて、気になるライブ(あえて、コンサートとは言わずにライブと呼びたくなるノリでした)の内容。ホッピーの書き下ろしナンバー数曲、ルースターズの「ニュールンベルグで囁いて」、ナンバー1バンドの曲や、恩蔵氏のソロ・アルバムからのナンバー、などが演奏されたわけだが、ホッピーのオリジナル曲が、やはり僕はおもしろかった。カバーもそれなりに楽しめるのだが、どうしても”つけやきば”的なものを感じてしまって今ひとつ。でも、イッセイが歌った「ニュールンベルグ~」はカッコ良かったな。ホッピーという人は、日本ではなかなかいないタイプのキーボーディストだと思う。まあイージーな言い方をしてしまえば、ロック・キーボーディストとして、日本で最右翼とても言いましょうか。プレイヤーとしての存在感を感じさせるのがギタリストなどに比べるとむずかしい楽器であるにもかかわらず、あれだけのムード、あるいは空気を持ち得るのは、ほかにちょっと見あたらない。

このごろのキーボーディストとはそのキーボードプレイヤーとしての評価というよりは、その人物のキャラクターまでひっくるめた音楽活動のすべてに対する評価を受けがちだが、ホッピーの場合、そのマニアックな言動や本質にもかかわらず、ポップで斬新なアプローチを感じさせる部分が、知的でありながらも音楽のフィジカルなファクターを非常に重視している。本当にこの人は、広い意味のロックという言葉にハマるような気がする(最近、ちまたでよく耳にするロックとは別物ですよ)。それはたとえば、テクノという言葉をも含有してしまうフトコロの深さを持ったロックだ。ちょっと話が脱線してしまったが、PITで演奏されたホッピーの曲には、そんなニュアンスがフワフワと漂っており、できるなら全曲オリジナルで攻めて欲しかった。PINKや、ほかのアーティストのアレンジなどでは出し切れないホッピーの色に、もう少し浸ってみたくなるのは、メンバーの良さにもあった。リズム隊は定評のある強力な2人ですし、下山淳のギターも、良い味を出していた。

おしむらくは、PAがあまり良い状態ではなく、正直なところ、出音はあまり良くなかったこと(PITがテントであることにも関係しているのかもしれないけど)。

ステージ上でのホッピーのMCも、ゲストが登場するたびに、なんとはなしになごんだ雰囲気が感じられる。構成などは、けっこうラフなもので、それがライヴ的だったとも言える。まあ、セッション的な演奏が、多少、冗漫だったりもしたが、くつろいだ感じ。

後半戦に入ると、アンコールは例によって一大セッション大会が繰り広げられ、これはもう泉谷しげるの独壇場。大いに笑わせてもらった。しかし、あの人もライブを盛り上げているのか、ブチ壊しているのか判断に苦しむようなときもあるね。呼ぶほうも、もちろんそんなことは承知のうえでしょうが。

 

KeyboardsでKey Wordsを再現

Flower Hipというネーミングからもわかる通り、Psychedelicという言葉にも、前述したROCKに相通ずる響きがある。もう、この種の言葉はスタイルを表わすというより、思想というほど大げさではないにしろ、ある種の考え方や価値観の傾向を示すKey Wordsとしての性格が強い。KeyboardsでKey Wordsを表現する、かなりこじつけっぽいが、そんなスタンスで音楽に接しているのがホッピー神山であり、またFlower Hipであると。でも、ほんとうはそんなことはどうでも良いのだ。何といっても楽しんでなければ、”音楽”が”音が苦”になってしまうから。Flower Hipの音を楽しめた、というのがとにかく一番に大切なことであり、次回はもっと高密度なものを期待している僕なのであった。

(文/藤原真人、撮影/石川徹)

 

「TECHII」1988年8月号

※サイト「TECHNOLOGYPOPS π3.14」様より、貴重な記事データをご提供いただきました。