※「 」内は全てプロデューサー・佐々馨氏の言葉
GROW●●●●●
2月に行われた”PSYCHO-DELICIOUS ACT-Ⅱ”より逆井オサムがギタリストとして加わり、3月には「TRAVELLER」をブライアン・フェリーやXTC等を手掛けたことで知られるスティーヴ・ナイのリミックスによってリリース。そして10月、4thアルバム『CYBER』をリリースした。完全にCDサイズでリリースされたこのアルバムは、ビニール盤にして1.5枚、約70分というものであった。コピーは「電脳的肉体派(サイバー・パンク・ロック)」。もはやこれに説明は不要だろう。それ以上に問題だったのが、作曲者がヴォーカルを執り、イニシアチブを執るレコーディング・スタイルを取ったことである。
「これまでの作品は基本的に同じ作りで共作以外はエンちゃん一本で来たから、今回は初めてホッピー、岡野の作品をやったということかな。バンドとしての全体像を明快に見せたかったというのはありますね」(佐々 馨)
これまでの3作品は、いわば福岡ユタカを通してPINKというバンドであった。しかしここで、ホッピー神山のPINK、岡野ハジメのPINKを表現することによってPINKというバンドの全体像を表出し、CDに入るだけの曲を収録することによりバンドの厚み、バラエティをパッケージしたのだった。
この頃よりメンバーのソロ活動が目立って来る。福岡は窪田晴男グループや、じゃがたらのOTO率いるブードラゴジランボに参加し、ホッピーは下山淳、池畑潤二等とセッション・バンド(インタビュー参照)を演ったり、布袋のバンド、山下久美子のバンドに参加。スティーブ衛藤はPINKを脱退し、以後サポート・メンバーとなった(山下久美子、ちわきまゆみ等に参加)岡野のプロデュース活動は御存知の通りで、自らもサロン・ミュージックの吉田仁とのユニット”クアドラフォニックス”で先頃アルバムをリリースしたばかりである。
ここに来てメンバー間の結び付きが希薄になったのか?いや、そうではない。元々意を決してスタートしたバンドではなく、純粋にこのメンバーから生み出される音によって結ばれたバンドだったのである。
’88年、未発表曲を含むベスト・リミックス・アルバム『FINAL MIX』をリリース。このリリースの直前、最後のライブ”PSYCHO-DELICIOUS ACT THE FINAL”が行われた。実にあっけらかんと、清々しく、エネルギッシュに。
そして今年’89年。コールド・スリープ宣言の後、5thアルバム『RED&BLUE』のリリース。コピーは「赤と青の衝撃」。
「REDは情熱の赤、BLUEは孤高性だとか、思索的な境地から至る透明感みたいなものを。それで本当は違うんだけれども、僕のイメージでは赤と青でピンクになるんですよね。」(佐々 馨)
前作以上に、完全に3つのユニットにセパレートしてレコーディングされた本作は、それぞれのユニットの音が馴染まず分裂症的な作品になるのでは、という予想とは裏腹に、バランスが取れ、音も詰め込み過ぎず、意外と聴き易い仕上がりとなった。
DEPARTURE●●●●●
これ以降、PINKはそれぞれの活動へと移って行く。バンドという生き物は次第に姿形を変え、その内側にあるダイナミズムも変化して行く。それに素直に従ったまでの結果であり、それは新たな出発を意味している。
「PINKが面白いのはPINKはこうであると言えないところなんです。全ての音楽はそうなんだけど、解析出来なくて、マジックというものがあるんだけど、PINKはそのマジックが強力で、様々な固定観念の総体という感じがしたんです。言葉では言い尽くせないものだとか、きっと感じ取りきることの出来ないものがつまってるものがPINKだっていう気がします。」(佐々 馨)
「DOLL」1989年4月号掲載
裏表紙掲載広告
「DOLL」掲載記事①(岡野ハジメインタビュー)>>
「DOLL」掲載記事②(ホッピー神山インタビュー)>>
『RED&BLUE』にLP盤があったとは・・・・>>
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