PINKのデビューは衝撃的だった。その”緻密でワイルドで、どこのものともつかない音の洪水”にあった時の感じを伝えたくて、昨年5月のレコード・デビューの時には、受け手の衝撃みたいなものにスポットをあててみた。9か月後、ここにセカンド・アルバム「光の子」。今度は音の作り手のことを知りたいと思った。そこでインタビュー。6人組のPINKは―――体力があって飽きっぽく、マジメ。手作りっぽく音楽しているという。そして、そのやり方は・・・。
(インタビュー:小沼信昭、写真:ヒロ伊藤


PINKの福岡ユタカに会った。彼らの新作「光の子」について、根掘り葉掘り聞くためだ。でも、スコップ片手にあんまりどんどん掘りさげず、ただひたすら音に接していたい、という気持ちも片方にはある。
いったい、なんで新作のタイトルは「光の子」なのか―――。そんなことは、制作者が自分の胸の中にしまっておけばいいことじゃないか、そうも思う。
PINKの音楽から湧き出すイメージの洪水は、そのつど成分分析をするに適していない。いや、こちらにその隙を与えない、と言った方が正しいか。
よく練って、慎重に大胆に積み上げられたリズム・セクションが、ユッタリとウネリながら動いていく。要所要所では、新局面を与えるべくギターやキーボードが切れ込んでくる。エレクトロニクスの音を肉感的に使うのが巧い。そして、やけにヒリヒリした、胸が焦げるような歌声が聞こえる。その声の主が福岡ユタカだ。
彼の声。ある時は、すごく少年の恥じらいを感じさせる。またある時、音の洪水のなかで気持ち良さそうに浮かんでいる。


●少し前に飯倉のラフォーレ・ミュージアムで見せてもらったライブの感じだと、ずいぶんみんな肩の力が抜けて、みたいに思ったけど、やってる方はどうだったんですか。あの時って、今度のアルバムの曲を何曲かやってたでしょ。

福岡 いやあ、リキミはねえ、どうしても入りますよ。ウチの場合、リキミはつきもの。あのね、楽屋ではさ、”へロッとやろうぜ”とかって言ってんのにさ、いざ本番になると、もう駄目。みんなマジメだからなあ・・・(笑)。

●気がついたら、みんな目がマジになっているという(笑)。・・・なるほどねぇ。で、さっそくアルバムの話に行っちゃうんだけど、たとえば今度のアルバムのタイトル曲あるでしょ。<光の子>。これ、何回か聞いたんだけど、結局どういう内容の歌なのか分かんなかった(笑)。でも、いい曲だとは思った。作詞・作曲者としては、この辺、どうなんでしょうか?

福岡 う~ん。そうですねぇ、そこまで言葉で語りたくない、というのはありますよね。僕はそういうタイプの人だから、出来るだけ意味よりイメージで行けたらなあ、というのはありますよね。だって、自分でもおぼろげなものってたくさんあるしね。例えば<光の子>だと、〈光の子〉って言葉だけでイメージが湧く人に湧くだろうし・・・。それイイじゃないって感じでね。

●「光の子」っていうと、僕はなんか朝の5時頃にラジオ聞いてるみたいなイメージがあるなあ(笑)。

福岡 アハハッ、そうかあ。・・・あのね、光って、性質が定まらなくて、粒子でもないし、みたいなところあるでしょ。で、その子供っていうのは、やたらスピードがある感じしない?どっからともなく現れて、どっからともなく消えて、みたいな・・・。それがね、僕のなかでは攻撃的なイメージなんですよ。それがすごい好きなんですよ。

●一般に日本のロック系の音楽って、昔から言葉の問題っていうか、言葉のリズムと伴奏のリズムが合わない、みたいな話ってあるでしょ。PINKとしては、その辺どう対処してんですか。

福岡 やっぱり違うんですよね。以前はそういうの無意識だったんだけど、最近はキッチリと意識していこうかなって思うようになって。<光の子>って曲にしてもそうなんだけど、あと、吉田美奈子さんに詞を書いてもらったものなんて、それこそハナモゲラで歌ってるテープを渡して、”この響きを生かして書いてください”みたいな頼み方だったしね。<日食譚>なんていうのは、クネクネしたメロディでね、なるべく長いセンテンスの言葉を生かそうって思って。

その(2)へ続く>>

1985年12月、ラフォーレ飯倉で2日間に渡って行われたギグ

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